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 本多秋五 『物語 戦後文学史(上)(岩波現代文庫、2005年)
 
 
 戦後間もなく刊行された雑誌『近代文学』の創刊に、平野謙、埴谷雄高らと共に関わった文芸評論家による自伝的戦後日本文学史。1966年に単行本で出版されたものの再録。この上巻では、『近代文学』創刊、「政治と文学」論争、坂口安吾、野間宏、椎名麟三、福田恒存などが取り上げられている。筆者の直接見聞したことがふんだんに取り入れられているため、その内容は、対象とされた作家の人物像とその作品とを交差させる形で語られている。

 戦後文学の歴史を現代から眺めてみて一番感じることは、帯の宣伝文句の「活気にあふれ、元気だった 文学と文学者たち」という言葉が上手く表現していくれているように思う。ここで語られる一つ一つの作品に、その作家の時代認識とそれに基づく自己主張がある。そして、その主張を他の作家たちが批判や擁護し、その相互作用の繰り返しによって文学界が活気を呈しているのだ。

 その良し悪しは措いておいて現代の文学界を考えると、多くは、一人の人間の内面、あるいは、せいぜい生活圏内の少数の人々を扱い、それを読むのはある程度固定されたファンだけである。また、社会的なテーマを扱っても、先人たちの営みとの連続性がなかったり、想定される読者が結局また一部のファンのままであったりする。完全に「タコツボ」状態である。ただでさえ多くはない読書家がさらに細分化していたのでは文学界・出版会が盛り上がるわけがない。

 思うに、現代の文学や読書には作家や作品を批評するという行為があまりに欠落しすぎているのではないかという気がするのだ。読者は自分の好みの作家の作品だけを読んで満足し、自分のお気に入りの作家が批判されることを自分自身が攻撃されているように感じるために恐れ、そのお互いの暗黙の了解を守るために他の作家を批評することを控える。各作品を楽しむだけでなく、評価するという視点を持つようになれば、「好き/嫌い」「楽しい/つまらない」という感想だけのAmazonのレビューにも質の改善が望めるかもしれない。
 
 
 さて、本の話に戻るが、全体的な感想はもう特に思いつかない。そこで、いくつかおもしろいと思った文を引用しておこう。

 まずは、ここでも取り上げたことがある野間宏が自分の作品について、自分が思っていた感想と近いことを語っている文章が引用されていたから、さらに引用しておく。

「戦争が次第にはげしくなるにつれて、現代の日本文学のなかには、戦争の重みを支えきれるだけの文学がないということ・・・・・戦争がもたらす不安や苦しみや暗さを、うちから拭い取って、自分自身の歪みや汚れや醜さを正し、下から支えて生かしてくれるようなものが、現代の日本の文学にはひとつもないということ」(「自分の作品についてⅠ」)を感じたという。(p150)

 ただ、次のような文になると、さすがに作品を読んでも全く想像だにしなかった内容である。

「ジョイスやプルーストの方法を自分が採用しなければならなかったのは、これらの文学のもっている精密な意識追求の方法が、時代の弾圧と肉体の抑圧とによって、自分のなかにとじこめられた自分の意識内容を解放する方法であったからだと考える。」(「自分の作品についてⅡ」)(p150)

 
 
 次に、椎名麟三の作品の人を惹きつけるところについて書かれた箇所。

椎名麟三には、すこぶる難解なものがある。枯木のオブジェ、とでもいってみたいものがある。謎めいたものがある。それが戦後の一時期には、椎名麟三の魅力でもあったと思われる節がある。謎や空白に直面して、積極的に読者が想像力をはたらかせて読み込む、人生究極の難問題について、頭の血管を怒張させて読む、その緊張感が愛されたのだと思う。一読してただちに理解されるものしか受けつけぬ、泰平無事の今日では考えられぬことである。戦後なればこそ、であった。(p191)

 椎名麟三の魅力が伝わり是非とも読んでみたいと思うのは当然として、この文章では筆者の表現の豊かさも垣間見れる。「枯木のオブジェ」は難解で分かりにくいと思うが、「頭の血管を怒張」という表現や、その頭をフルにはたらかせて読むことの効果を「緊張感」に求めたりしているところである。
 
 
 さて、この種の文学史を扱った本を読むと、読んで見たい本がたくさん出てくる。なかなか文学に時間を割くわけにもいかないために逐一チェックはしておらず、結構忘れ去られたものもあると思うがいくつか挙げておこう。

 まずは、上でも書いた椎名麟三の「深夜の酒宴」。次は、筆者が大絶賛している福田恒存訳のD.H.ロレンス『黙示録論』。他には、独創性においては小林秀雄の『無常といふ事』を「足下に眺める」とまで激賞されている花田清輝『復興期の精神』。「悪運による希望の徹底的な破滅、その絶望からの出発を語る」(p91)と評価されている石川淳「焼跡のイエス」。

 今挙げられるのはこれくらいである。福田や花田のは文学ではないが、以前から読みたいと思っていただけにより一層意欲が増した。他の小説は、文学を集中的に摂取したい気分が訪れたときには是非とも取り掛かってみたい。

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