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庄司薫 『狼なんかこわくない』 (中公文庫、2006年)
1971年の本に政治学者の御厨貴の解説を加えて出された改版。
内容以前に気になる点が3つ。
一。この本は、著者のデビュー作『喪失』の著者自身による解説のようなものなのだから、再版の順番は『喪失』が先でないとおかしい。
(阻んでいるのは、「蝶をちぎった男の話」が講談社文芸文庫の短篇集に収録されていることによる著作権上の問題?)
二。227ページの文庫が800円って、高すぎ。
三。新たに加えられた解説が、なぜに政治学者によるものなのか?
それで内容。
安保闘争、全共闘運動が盛んだった頃にすでに芽生えていた“価値相対主義”の時代における青春論。“価値相対主義”とは、寺島実郎の表現で言えば、「虚弱な私生活主義」になる。
とはいえ、時代が時代なだけに、まだ“開き直り”がないため、色々な問題点について、(著者の実際の行動とは裏腹に)「逃げることなく」考えられている。
次の文に内容(もっとも難しい問題)は要約されている。
「 問題は、ぼくが、純粋さとはたんなる単純さでなく、誠実さはたんなる素朴さではない、と考えていたところにあった、といってもいい。単純さ素朴さは、純粋さ誠実さの要素、最終的に望ましい「たたずまい」とでもいうべきものではあっても、必要十分条件ではない。純粋さ誠実さが、生涯を通じての持久戦を首尾一貫戦い抜くことによってのみ求められるものであるかぎり、そこにはいかなる複雑な戦局の中でも耐えられる強さがなければならない。言いかえれば、単純さ素朴さはわれわれがはるか遠くに望みあこがれる到達目標であり、いわば「達人の境地」のようなものなのだ。われわれが、一見単純で素朴なたたずまいでその純粋と誠実を貫くには、それを支える恐るべき複雑な強さ、複雑な困難に素朴に耐えるという恐るべき「力」をまず獲得しなくてはならない。そして青春が、ぼくたちにとって純粋と誠実を求める生涯の持久戦のための基本的戦闘能力を鍛える時期とするならば、ぼくたちがそこで単純さと素朴さをいきなり純粋さと誠実さの代用品として持ち出すことは、一種の「キセル行為」であり、持久戦での敗北を招くことにもなるだろう・・・・・・。 」(p68)
じゃあ、どうすれば「力」を獲得できるのか、という問題はあるけれど、ここで述べられていることは、自分の身近な経験でも若いアイドルの言動を見ていても感じることであり非常に共感した。