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 幸福輝 『ピーテル・ブリューゲル――ロマニズムとの共生』 (ありな書房、2005年)
 
 
 本書は、「十六世紀フランドル絵画を代表する画家」であるピーテル・ブリューゲルを当時の2つの美術思潮の交差という視点から論じている。2つの美術思潮とは、当時隆盛を誇っていたロマニズム(=ローマ主義,ルネサンス期イタリア文化)と伝統的なフランドル絵画である。人文主義的教養を重視し人物像(肉体美)や古代神話などを描く前者に対して、後者は風景画を得意とした。
 
 
 ヨーロッパの周縁であるフランドル(現在のほぼベルギー)においてさえ当時の主流はイタリア文化であった。そして、多くの画家はイタリア留学をしていた。ブリューゲルも例外ではなかった。にもかかわらず、ブリューゲルは伝統的な風景画や民衆画を帰国後も題材に選んでいる。そのためブリューゲルの留学体験は「隠蔽」され、イタリア文化とネーデルラント文化を二項対立的に捉えて、反イタリア主義者としてのブリューゲル評(「農民ブリューゲル」など)が多数を占めている。
 
 
 しかし、筆者はここに異議を唱える。ブリューゲルはイタリア文化を間違いなく学んだ「人文主義者ブリューゲル」であると。そして、イタリア人文主義文化とネーデルラント民衆文化は単純に対立的・相互排他的に捉えられるべきではないと。その論証がいくつかの点からなされる。

 まず、ブリューゲルのイタリア体験を跡付ける。また、ブリューゲルの代表作の一つである《十字架を運ぶキリスト》をイタリア文化が浸透してくる中で自国の文化の価値を再構築しようとして描いた“ネーデルラント絵画の集大成”としての解釈を示す。さらに、ブリューゲルの作品の熱心な収集家であったヨンゲリンクの、ブリューゲル以外の作品を含めたコレクション全体の内容を検討する。
 
 
 こうして本書で示されるブリューゲル像は、筆者の意図の通り、近年のブリューゲル研究の主流である図像学などによる一枚一枚の絵画の主題の分析や解釈とは異なる新鮮なものである。つまり、一枚の絵画の解釈では困難であり、また反イタリア主義という消極的定義でも難しい、ブリューゲルを美術史の流れの(ある意味では)“主流”の中(少なくとも主流との関係の中)に位置付ける作業が行われているのである。
 
 
 この本は筆者も述べている通り専門家向けというよりは一般向けに書かれている。そこで以下では、美術史などの学問的な素養のない自分の(一般人的な)立場から本書の意義を述べてみたい。
 
 
 ブリューゲルについて書かれた(あるいは、触れられている)一般向けの本を挙げれば、中野孝次『ブリューゲルへの旅』(文春文庫)や、野間宏「暗い絵」(『暗い絵/顔の中の赤い月』(講談社文芸文庫)所収)が代表的なものであろう。しかし、これらはどちらもブリューゲルがその絵を描いた時代とは切り離してブリューゲル絵画を扱っている。これは、ブリューゲルの絵が時代を超えて人々の心を掴むが故のことであるだろう。しかし、「ブリューゲルの偏愛」が唯一の絵画界とのつながりである自分のような人間にとっては、それらの本ではブリューゲル(への関心)から“美術の世界”への横への拡がりがなく、飽き足りない思いをしていた。そのような(個人的)状況での本書の登場は、自分の絵画芸術への興味・関心を切り開いてくれるものであった。
 
 
 この観点からしておもしろい点を本書の中から一つ書いておこう。それは本書の「おわりに」で触れられているブリューゲルと他の有名画家との比較である。すなわち、ブリューゲルはイタリア人文主義を知った上でフランドルの民衆文化を選択した。これとは対照的に、ブリューゲルと同じ北方の画家であるルーベンスは脱フランドル文化を標榜してイタリア美術を継承したのである。また、ブリューゲルから1世紀ほど後のオランダの画家であるレンブラントは、ブリューゲルと同様、イタリア文化を学びながらもそれとは距離をおいた受容をしたのだ。
 
 
 この3者における例だけから単純に抽出するなら、自分は非イタリア文化的な絵画が好きなようだ。大学受験の際の「世界史」という科目でただ暗記の対象であった画家たちだったのだが、その中で唯一好きになったのがブリューゲルであった。そして、ブリューゲルには及ばないまでも、他に印象に残っているのがレンブラント(の《夜警》など)とドラクロワ(の《民衆を導く自由の女神》だけ)だったのだ。
 

  
 さて、最後に本書を読んでの私的な感想を書いておく。本書を読んでいる最中、美術史や絵画のおもしろさを何度となく実感し、更なる興味をひかれるものがいっぱい出てきた。そうして思ったのが、「世の中にはまだまだおもしろいことがいっぱいある」ということだ。自分が興味を持っていてもまだ足を踏み入れていないものだけでも、まだまだたくさんある。これに今後新たに興味を持つものを加えると、とてつもないほど多くの楽しみが世の中には存在するということになる。ここに至って、人生や社会の制約を嘆きたくならずにはいられなかった。
 
 
 それ以来、限られた人生の有効な利用のために、階段の上り下りはすばやく行うようにしている。
 

[追記]
 以下のサイトでブリューゲルの絵が見られます。
 →「Web Gallery of Art
 なお、ブリューゲルの中の「BRUEGEL, Pieter the Elder」。つまり父ということ。子供たちも画家だから。
 ちなみに、風景画、民衆画から初期の風刺画(?)までどれも好き。

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