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平野啓一郎 『小説の読み方――感想が語れる着眼点』 (PHP新書、2009年)
小説を分析する視点をいくつか提示し、それを用いていくつかの作品を解剖している本。
提示されている視点は、「究極の述語への旅」、「期待と裏切り」、「述語に取り込まれる主語」など。
解剖されている作品は、オースター『幽霊たち』、綿矢りさ『蹴りたい背中』、エリアーデ「若さなき若さ」、古井由吉『辻』、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』、美嘉『恋空』など9作品。
提示されている視点は、まとまりがなく雑然としている気がするけど、「ああなるほど」と思うものもあるし、「そんなの誰でも気づくだろう」というものもある。 それから、さすがは小説家だけあって、「究極の述語」とか「述語に取り込まれる主語」とかいう表現は上手い。
ただ、最大の問題は、この本を読んでもその中で解剖されている小説を読みたいという気にならないこと。( あるいは、一度読んだ小説の新たな魅力に気づくことがないこと。ちなみに、オースター、綿矢、エリアーデは既読だった。) これは、逆から言えば、ここで提示されている視点では小説のおもしろさを伝えることはできないということを物語っている。
この本の副題は「感想が語れる着眼点」だけど、「小説を(小難しく)分析すること」と「読み終わった後の感想を表現すること」とは、まったくの別物だ。 残念ながら。 文学者がちゃんと働いてこなかったから。
この本が行っているのは、前者の「小難しい分析」でしかない。
思えば、エリアーデを「個人的に好き」という、芥川賞を受賞するようなプロの小説家が、そもそも『蹴りたい背中』とか『恋空』とかを本当におもしろいと思っているのだろうか? もし、思っていなくて、批判してやろうとも思っていないのなら、何も伝わらないのは当たり前だ。