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by ST25
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 山崎正和 『混沌からの表現(ちくま学芸文庫、2007年)
 
 
 1977年に出版された文化論・文明論に関する中短編を集めた本の文庫化。

 著者が中央教育審議会(中教審)の会長になったとはいえ、30年経って中短編集を文庫化した理由はよく分からない。

 けれど、著者の物事の普遍・本質を見通す力のためか日本人が学習してこなかったためか、どの文章も今でも十分に通用する。むしろ、今の問題とのシンクロ率が高いあまり感動を覚えることもしばしばなほど。

 山崎正和は、一時期ものすごくはまって色々と読み漁った。最近は新聞での論評などを単発で読む機会がある程度で、まとめて読むのは久しぶりだった。それで、改めて、一つ一つの視点が味わい深くておもしろいことを実感した。( ただ、外交論は冷戦時代のままの思考であって読む価値はほとんどない。この本には収録されてないけど。)
 
 
 そんな山崎正和の視点やスタンスを端的に表しているのが、 人間が知り、人間が作るもののすべてを含んで、それを「文明」とか「文化」とか呼ぶことが、かつては疑いなく可能であった。(中略)〔だが、知識が専門化して、〕人間が細分化され、人間性が失われていくのと並行して、他方ではそれを快復すると称して、空疎な政治スローガンがわれわれを偽の常識に誘惑する。 (pp124-125)という問題意識が述べられた後に出てくる次の文章。

 どのような暗黙のリズムが、われわれの毎日の生活を静かに統一しているか。どのような現象が、今日そのリズムを醜くかき乱しているか。それを「批評」というかたちで、わざわざ言葉にあらわさねばならない現代は不幸な時代である。「文明批評」などという奇妙な仕事は、それ自体、文明が病んでいるということの証拠としてあるのかもしれない。けれども、まさにそのような時代であればこそ、現代の文明批評には新しい任務が生まれたともいえる。もちろん、それは専門的な知識を使って問題を指摘したり、新しい統一的な世界像を性急に描いて見せることではない。むしろ、必要なことはその正反対であって、身辺のあらゆる些事について、共通の感覚をことばによって快復させる仕事である。本来ならばあらためていう必要もなく、いえばかえって嘘になるような生活の了解を、ひとつひとつ忘却の淵からひろい出して来る仕事である。いいかえれば、現代の生活のスタイルを、それなりに言葉によって再確認する作業である (pp127-128)

 この認識自体も一つの例だけど、この本にはそんな“文明批評”の実践例がたくさん収録されている。

 それらを読むと、文化とか慣習・道徳とかが持っている思いもかけない奥深さや複雑さやおもしろさの存在を知ることができる。

 ( ※このことを踏まえると、日本文化や日本人の慣習・道徳をあたかも教科書がある一つの科目のように学校で教えようとする安倍首相や教育再生会議の考えが、いかに無知で浅はかなもので、逆に、むしろ日本文化を貶めるものだということを嘆かずにはいられない。 ちなみに、自分は、近代主義者とはいえ、社会現象の文化論的説明や道徳的説教や道徳的議論や文化の政治利用などが嫌いなのであって、日本文化論とか日本文化それ自体とかは嫌いではない。 )

 「人生を楽しむ」というと、何でもかんでもすぐにポジティブに考えて済ますことだという、あまりに表面的で浅薄な人生観が圧倒的多数を占める世の中にあって、同じ前向きであっても、ありのままの物事に存在する奥深さを味わうという(今となっては懐かしい感のある、教養的な)いき方を提示しているこの本は、現代人の生に対して根源的な革新を迫るくらいのパワーを静かにたたえているのだ。



〈前のブログでのコメント〉

山崎氏がイラク戦争の正当性について、戦争そのものが大量破壊兵器がなかったという事を証明した。だから、良かったというような事を言っていたものを読んで、唖然としました。新聞で田中明彦の意見と併記されてたものです。
commented by やっさん
posted at 2007/06/18 00:40

彼の国際関係観は実質的に冷戦時代の西側の論理のままなんで、わざわざ擁護しなくてもいいとも思ったのですが、「さすがに・・・」と思って、今、記事(朝日新聞、2007.3.16.朝刊)を読んでみました。ちょっと違いますね。
確かに、「戦争によって、持ってなくても脅しになる大量破壊兵器がないことが分かって良かった」という内容のことは言ってますが、それによってイラク戦争の正当性までは導いてません。(正当性の一部にはなると考えているかもしれませんが。)イラク戦争の正当性に関しては、一貫して、フセインの国連決議1441違反に帰しています。
とはいえ、戦後復興の見立てなども含めて、あまりにナイーブで無責任な主張で自分は賛同しかねますが。
commented by Stud.@管理人
posted at 2007/06/18 01:59 
ご無沙汰しております。2007年7月号の文藝春秋に山崎正和の教育に関する論考が掲載されています。ぜひ読んでみて下さい。道徳教育を強調することの無意味さを切々と説いています。非常に筋の通った意見で共感を覚えました。

最近は新大久保駅で韓国人青年が転落者を助けた事件を道徳の時間に扱う学校があるそうです。見ず知らずの他人の為に命を投げ出すことがあまねく美徳なのか?マスメディアもこういう美談は大好きです。とくに朝日新聞は好きですね。ただの危険思想です。「パッチギ2」で「君のためにこそ死ににゆく」をこきおろしてました。

むしろ、転落者を助けられなかった傍観者の悔悟、醤油を飲んで徴兵から逃れた人間の懊悩、「それでも自分は生きてゆく」これが誠実な人間の姿ではないかと。多様な生をどう認めてゆくか、要はそういうことなんだろうと思います。
commented by morita
posted at 2007/06/20 00:32 

久しぶりにようこそ。

「道徳教育反対論」は、新聞広告でタイトルを見ておもしろそうだと思ったんですがまだ読んでないんで、読んでみます。

新大久保駅の惨劇、朝日が好きなの(?)はそれが韓国人だったからという気がしますがw、それは置いといて、全くその通りだと思います。少なくとも、安易に道徳的判断を下して済まされるような単純な問題ではない、ことくらい識別する知力を教師やマスコミには持っていてほしいものです。

(もちろん場合にもよりますが、)「臆病」というものの価値はもっと積極的に評価されるべきだと自分は思っています。この世の中には、安易で短絡的な行動による損害・被害がいかにたくさんあることか・・・。「勇敢」とか「滅私奉公」とかいった美徳はせいぜい理性的な人間にのみ許されるべきものです。
commented by Stud.@管理人
posted at 2007/06/20 02:21
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