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サミュエル・R・ディレイニー 『アインシュタイン交点』 (伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫SF、1996年)
ネビュラ賞を受賞した1967年のSF小説。
量的にではなく、質的に読み応えがある。
※ アマゾンのレビューをはじめ、「分からない」という感想が多く、“分からなくていい”という連鎖が起こっている。嫌だ嫌だ。そんな状況に微力ながら一石を投じる。
遠い未来の、人間が住まなくなり、異星生物が住み着くようになった地球が舞台。
ストーリーの大枠は、欧米では馴染み深い“聖杯伝説”に基づいている。
すなわち、若き主人公ロービーは、笛のように音楽を奏でることもできる剣を持ち、恋人を殺したキッド・デスを殺すための旅をする。そのキッド・デスは、あたかも神になるかのごとく、全てを支配(コントロール)しようとしている。が、そのためには“音楽”(※これが何を意味してるかは後ほど)を司るロービーと“創造”を司るグリーン=アイの助けが必要である。
このロービー対キッド・デスという大枠がまずある。
ちなみに、神話的には、ロービーがキッド・デスを殺すことができれば、新しい世界が開けてくるだろうと推測できる。
一方で、この旅の過程で、ロービーは世界の真実を知っていく。
この世界では、“違っていること”が蔑視の対象になっている。
この“違い”とは、以前地球に住んでいた人間との違いを意味している。したがって、この異星生物たちは自分たちを人間に近づけようとしている。
人間のような種になりそれを維持するべく異星生物たちが行っているのが、乱交と人工授精による種の“コントロール”である。
この人間世界の価値や思考に捕らわれた異星生物たちを解放する役割も、ロービーが背負っている。
「 死はない。あるのは音楽だけ 」(p145)
「 死はなく、愛があるだけ 」(p134)
つまり、“音楽”とは“愛”を表し、“音楽”を奏でることができるロービーは“愛”を司っているのである。
そのロービーが(コントロールを司る)キッド・デスを倒し、世界の王座を占めることは、“愛”がこの世界の新しい支配原理になることを意味する。
“愛”という、この異星生物たちにとってのありのままの自然な感情がこの世界を席巻するとき、異星生物たちは、人間(が有していた価値や思考)というくびきから解放されて、自分たちの世界/地球を確立することになるのだ。
そして、これこそが、アインシュタイン曲線とゲーデル曲線の交点をゲーデル的に超えていくということだ。(※ ゲーデルの理解が間違っていることは著者自身が認めている。)
さらば、人類! さらば、人類の地球! そして、愛が溢れる新しい地球へ!
そう、自分は解釈した。