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 カール・フレンチ 『「地獄の黙示録」完全ガイド(新藤純子訳/扶桑社、2002年)

 「地獄の黙示録」関連書籍の4冊目。ここ最近の記事10個中4個までが「地獄の黙示録」関連ということになる。しつこいこと、並びに、自己満足的なことは承知の上でそれでも書いていく。ただ、本当は、最近見つけた素晴らしいDVDを気分転換に取り上げようと思っていたのだ。けれど、DVDのプレイヤー(つまりはパソコン)の調子が悪くて音声が出ないため、延期せざるを得なくなってしまった・・・。(壊れる前にすでに2度ほど観たから書けないことはないのだけど。)

 閑話休題。この本は、映画「地獄の黙示録」に関係する項目を頭文字でAから順番にZまで解説している。とはいえ、辞書的な内容に止まらず筆者なりの独自の評価や視点も盛り込まれていておもしろく読めた。立花隆の『解読「地獄の黙示録」』よりかなり包括的であるだけに新しく知った知識もたくさんあった。この映画の奥深さを改めて認識したとともに、制作者たちのユーモアの存在も知ることが出来た。

 新たに得た知識として例えば、映画の内容に関係ないところでは、「地獄の黙示録」は最初はジョージ・ルーカスが作る予定になっていたが、それが諸事情からフランシス・コッポラに変わったこと。そして、「地獄の黙示録」を作らないことになったルーカスが作ったのが「スター・ウォーズ」。したがって、「スター・ウォーズ」はルーカスなりのヴェトナム戦争理解が反映されているというのだ。(具体的には反乱軍はヴェトナム人で、帝国は米軍であるなど。)「スター・ウォーズ」に関してあまりに疎い自分は初めて知った。(ファンの間では常識かもしれない。)
 
 
 さて、映画の解読に関係する興味深い内容としては、特に、撮影監督のヴィットリオ・ストラーロの話が哲学的な深みがあっておもしろいから引用しておこう。(以下の引用は全てストラーロが語っているもの)

もともとのアイデアは、強烈な1つの文化が別の文化の上に焼きつけられるのを描くことだった。・・・・アメリカ人は映画に描かれたように場違いな存在だった―――あそこはまったく違う生活や考え方、もっと原始的な生活や考え方をする人々の世界だ。アメリカ人は自分たちの文化を携えてやってきて、それがまた、彼らのメンタリティになっているので、彼らは戦う相手の人々が理解できない。もし、この文化を理解すれば、この土地で戦う戦争について違う考え方をしただろう。この物語は悲劇だ、本当に。(p279)

部分的にはコンラッド、そしてコッポラの映画のもとになったコンラッドの中編小説『闇の奥』のタイトルを通して、私は過去のすべてを再評価し始めた。「闇」のコンセプトが現れてきた。それは光が終わる場所だった。だが、闇は光の不在ではなく、光のアンチテーゼであることにも気づいた。言い換えれば、闇と光は表裏一体なのだ。光と闇は単にメタファーではなく、われわれが知覚し、理解する手段でもある。(p282)

 この考え方は、カーツには体の一部にしか光が当たっていないなどの形で実践されている。また、闇を光の不在としてではなく、闇それ自体としての存在を積極的に捉えるという思考は、主に闇を扱っているこの映画を肯定することにもつながると思われる。
 
 
 それから、「訳者あとがき」で訳者が納得できるおもしろいことを言っている。

コンラッドやフレイザーやエリオットを知らなければ映画が楽しめないなどということはなかったに違いない。/そう思ったとき、ふと気づいたのだが、初公開から20年以上がすぎた今、むしろ、若い観客に必要なのはヴェトナム戦争についての知識ではないだろうか。20年前には、『闇の奥』や『金枝篇』を知らなくてもヴェトナム戦争を知らない人はいなかった。(p322)

 確かに、この本でも(もちろん映画でも)、映画制作にも関わったマイケル・ハーの『ディスパッチズ ヴェトナム特電』(筑摩書房)からのヴェトナム戦争の酷い現実に関するたくさんの描写が出てくるが、その内容は、繊細に注意深く進められたイラク戦争とは随分と異なっている。ヴェトナム戦争についてもっと具体的に知ることは映画の理解に必須の新しい課題となった。

 また、これと同様なことは日本人とアメリカ人という文化的背景の差異によっても生じるように思われる。すなわち、映画のタイトルにもなっている聖書の「黙示録」についての前提的な理解だ。これについては今まで読んだどの本にも詳しくは出てきていない。あるいは内容の理解にとって重要な意味をなさないのかもしれないが、タイトルにもなっているだけにやはり知っておきたい事柄だ。
 
 
 さて、「地獄の黙示録」解読の旅は、依然、答えの断片さえも見えないまま、次が5冊目だ。5冊目はフレイザーの『金枝篇』を予定している。この本は「魔法と宗教の研究」という副題をもつ比較宗教学研究の(学問的にはおそらく異端の)書だ。ただ、(異端だとしても)自分にとっては全く未知の領域だけにすごく楽しみだ。

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