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アンドレ・ジイド 『狭き門』 (川口篤訳/岩波文庫、1937年)
お互いに愛し合うジェロームとアリサの悲劇的な愛の物語。悲劇をもたらすのは神。それは信仰とも、徳とも言い表される。アリサを愛することによってこそ聖なる心=徳へと到ると考えるジェローム。一方、徳と愛とが相矛盾するものだと思い煩うアリサ。
そんな二人が紡ぐ、ジェロームとアリサの間の葛藤、ジェロームのアリサの行動がもたらす不安による葛藤、アリサの中の愛と信仰との葛藤というそれぞれが織り成す緊張状態が物語を進めていく。
題名の「狭き門」は聖書の次のような一節から取られたものである。
「 力を尽くして狭き門より入れ。滅(び)にいたる門は大きくその路は広く、之より入る者はおほし。生命にいたる門は狭くその路は細く、之を見出すもの少なし。 」(p25)
この「狭き門」を通った先にあるのがアリサだとジェロームは考える。そして誠実にアリサだけを想う。しかし、その「門」は思いのほか狭かった。
確かに二人はお互いに強く愛し合っている。
しかし、ジェロームの情熱的な愛情は、特に婚約の申し込みに関しては、一方通行的な様を呈するのだ。
そんなアリサの物語中に見せるやや不可解にも思える行動の真相は、最後に付録のように付けられている「アリサの日記」を読むことでかなり明らかになる。そのうちの一つだけを引用しておこう。
「 はしたない私の心が願っていた、余りにも人間的な喜び(※信仰とは反する愛のこと)よ・・・。主よ!あなたが私を絶望の淵に陥れたのは、この叫びを挙げさせるためだったのでしょうか? 」(p195)
この叫びの、なんと危ういことか。ほとんど神を捨て去らんばかりのものである。
この小説では、「力を尽くして狭き門」へと入ろうとするジェロームとアリサの気持ちと行動が見事に表されている。特に、主人公兼語り手であるジェロームの若々しくひた向きな愛と不安は上手く表現されている。それだけに、宗教や神について色々感じさせる。否定的に。