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牧原出 『内閣政治と「大蔵省支配」』 (中公叢書、2003年)
1952年から1962年までの大蔵省、与党、内閣を中心とした政策過程を詳細に追うことで、「官房型官僚」という概念を導出している。
「官房型官僚」とは「原局型官僚」と対置される概念で、「原局型」が政策対象とする業界を保護育成する志向性を有するのに対して、一省庁にとらわれずマクロ経済への志向性を有する。ちなみに、「原局型」の代表例としては大蔵省の「主計局」のほか、農水省の「農政派」や通産省における「民族派」が挙げられる。これら原局は一般にその省庁の利益を代表すると目され、実際エリート官僚のキャリアにおいて本流を占めてきた。
しかし、著者が焦点を当てた1952年から1962年の(少なくとも)大蔵省においては、他組織への出向や省内外の調整などによってマクロ経済への視野を持った「官房型官僚」が、大蔵省内外において影響力を発揮した事例が複数見出される。例えば、1954年度予算の編成過程において、従来の主計局主導の積み上げ型予算編成とは異なり、予算に「1兆円の枠」を予め課すことができたのはマクロ経済への関心を持った「官房型官僚」の働きかけの成果であったとされる。
とはいえ、当時の政策過程において「官房型官僚」が単独で力を行使し得たわけではなく、内閣や与党や有力政治家との協調や対立の過程における一つの主要なアクターとして「官房型官僚」は描かれている。
そうして、そのようなあらゆるアクター間の相克の過程を経た1962年における所得倍増計画の策定は、1950年代の政策過程の集大成だとされる。すなわち、大蔵省官房調査課のグループによる中核的アイディアの創出、経済企画庁の強化、与党政調会を強化する「政策先議」などが作用しあって所得倍増計画は作られた。
しかし、50年代に主役を務めた「官房型官僚」は、60年代に入ると原局の調査能力の向上などにより力を失っていったとされる。
こうした分析を経て著者は、近年よく語られる「政治主導」について、「党政調会‐原局型官僚」という提携関係に加えて、「内閣‐官房型官僚」という提携関係も並び立ち、相互に緊張関係にあることが必要だと指摘している。
1950年代に現在の主流派官僚とは別種の官僚が主導していたという事実が政治学においてどのように意義付けられるのかは全く預かり知らないことではあるが、「官房型官僚」という新しい概念の導出に留まらず、それが「原局型官僚」を押しのけて主導していた時期があったということを知ることができたのは非常に新鮮だった。
著者も書いているように、政治主導や内閣の機能の強化などを目指した行政改革のために1996年に設置された行革事務局が、各省庁の官僚(優秀な若手だとされる)を集めて組織されたというのは興味深い。なぜなら、この組織へ出向した官僚がこの経験により出身省庁の枠を超えた政策構想を持ちうるようになるとしたら、これこそがこの組織が目的とした内閣の強化に繋がるからである。このような認識も、本書が示した過去の実例を知ることによってこそ可能になると言えるかもしれない。
ただ、一つ気になるのは、内容の要約の最後に出てきたように、著者は三権分立の理念に厳密に則って内閣と与党を緊張関係にあるものとして捉えていることである。しかし、現在、特に民主党などが目指しているのは、選挙公約の責任ある実施という観点からの内閣と与党との融合の方向である。この場合、現局型・官房型という二つの官僚は内閣・与党とどのような関係を取り結ぶのか、興味深いところである。
ところで、この本(初版)は誤植が多すぎる。帯からしてすでに2箇所も誤りがある。間違いなく、自分が今まで読んだ本の中で最も多い。あまりの多さに、誤植によって意味が逆になっているところがあるのではないかと不安になるくらいだ。ここまで酷いと「乱丁・落丁」に入るのではないかとさえ思う。厳重に抗議したい。
〈前のブログでのコメント〉
- 脱線、歓迎です。
確かに「根本的な皇室のあり方を議論する必要」はありますが、これをしてしまうと「恐ろしい結論」が出てくるのを誰もが薄々感づいているから正面切って根本から議論しようという意見はあまり出てこないのではないでしょうか。
それはさておき最近の議論を見ていると、天皇制を「“文化”として」語るものばかりで、「“政治制度”として」語るものがあまり見られないように思います。女系についての賛否もこの視点の重きの置き方に発するように思えます。
しかし、「文化」と「近代の政治制度(特に憲法)」は本来相容れないものです。ここに両極の人にとっての不幸の源があります。近代の政治哲学を受け入れるのであれば女系容認は問題ないということになります。他方、文化を重視するのであれば女系容認は到底受け入れられないでしょう。
乱暴な議論をすれば、歴史的に営々と築かれてきた天皇制をその形態のまま維持したければ天皇を政治から切り離して「一つの文化」として「民間で(!)」維持していくしかないでしょう。逆に、天皇制が公的な制度であり続けることを重視するのであれば政治理念・政治制度に沿った多少の形態の変更は受け入れざるを得ません。
もちろん、文化と近代の政治制度との対立はゼロサムな解決にしなければいけないわけではありません。妥協や中間的形態というのはありえます。
そこで考えるべきは、現代の天皇制の基本である「国民の総意」です。これは天皇制が重大な人権侵害や平等の原則の逸脱を伴うからこそ、最大限の配慮をして入れられた文言でしょう。
であるなら、文化と近代の政治制度との間のバランスのあり方に裁定を下すのは国民です。歴史ではなく民主主義なのです。
したがって、本来は国民投票を行っても良いくらいだと思います。
ただ、それが難しそうなので、世論調査で女系容認が多い現状から鑑みるに、(個々人の価値観のレベルからは離れて考えるなら)女系容認への皇室典範改正は是認されるべきだと思います。
- commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2006/02/04 22:50
- 許される範囲だと思い脱線しますと(笑)マニフェストで国民に約束した事ならまだしも皇室典範改正法案に党議拘束をかけるというのはどうなんでしょう。
政党内の問題にすぎないと言えばそうですが…
閣僚の中にも賛否ありますね
根本的に皇室のあり方は、どうあるべきかという議論も必要でしょうね - commented by やっさん
- posted at 2006/02/04 20:28