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 松野頼三(語り)、戦後政治研究会(聞き書き) 『保守本流の思想と行動 [松野頼三]覚書(朝日出版社、1985年)
 
 
 先日、松野頼三逝去のニュースを見ていて、以前古本屋で買って少しだけ読んでいたこの本のことを思い出した。

 そもそもこの本に興味を持ったのは、何かの本(原彬久著『吉田茂』?)でこの本からの引用が多用されていて、しかもおもしろい内容のものが多かったからだ。

 松野頼三については、ニュース記事に詳しく書かれているから、そちらを参照してもらえるとよく分かる。→記事

 要は、「吉田茂元首相の指南役とされた松野鶴平元参院議長の三男」で、「田中角栄元首相らと並んで「佐藤派5奉行」に数えられ」、労相、防衛庁長官などを歴任し、「(政界引退後も)「政界のご意見番」として発言を続け、小泉首相とも親交が深」く、「民主党の松野頼久衆院議員は長男」である、という人である。

 この本では、そんな松野頼三の政治家としての歴史が吉田茂首相の頃から「三木おろし」のあたりまで綴られている。興味深いエピソードもいっぱい盛り込まれている。個人的に特に興味を持ったのは、派閥の発生の頃の話と、保守本流と保守傍流との違いの話。この二つを引用をたくさんしながら見ていく。
 
 
 まず、一つ目。保守政界における「近代的な」派閥の発生の背景に関して、次のような説明をしている。

保守政界を変えたのは三十年の保守合同だ。他人同士がくっついたわけだから、もっと規律正しくしようやとか、総裁選びのルールをつくろうやとか、会計ももっときっちりしようやとか、ということになった。(中略) 人事も数を基本にしてやっていこう、と変わる。「数」がいままでとは段違いに非常に大事になる。数が大事になれば派閥もきちっと締め付けを始めるし、派閥の名簿もできる。
  つまり、それまでは吉田(茂)の信任を得たものが力を持ったのに対して、他人の血が入ってくると今度は、数の力で閣僚の割り振りなども決まる風潮が強まる。いよいよこれで「近代的な派閥」が発生する条件が整うこととなるわけだ。 (p52)

 この、特に後段を具体的な個人に即して言うと次のようになる。

戦後の保守政界に「派閥」という組織がどうして発生し、今日見られるように強固な存在にまで成長したのか。(中略)
  たとえていえば、戦後の保守政界の中で、公家に対する新興武士勢力――といった形で派閥が発生したというのが一つの結論である。
  公家勢力というのは何か、これは林、益谷、大野の吉田御三家だ。すなわち戦前からの保守政治家である林譲治、益谷秀次、大野伴睦の三人。これが吉田政権が発足した直後の政界で最も権勢をふるった人々だ。この御三家に対抗する新興勢力が、まず広川弘禅の広川派であり、次いで成長したのが佐藤派、そして池田派だった。 (p48)

 この「公家勢力」である「御三家」が影響力をもった理由は、「政党嫌いの吉田と、吉田嫌いの政党」という状況において、「御三家」が吉田に代わって政党の仕事を引き受けたからである。

 そして、「新興武士勢力」の中に佐藤栄作、池田隼人といった吉田に近い人が含まれているのに疑問を感じるかもしれない。これは、「政党嫌いの吉田」が、官僚に頼り、そして育てたからであるという。この吉田の官僚重視は、佐藤が役人からいきなり官房長官に、池田が蔵相に抜擢されたところに象徴的に現れている。そして、この吉田が育てた官僚たちと、吉田の代わりに政党を担っていた「御三家」が、吉田が意図していたかは分からないが、「公家」と「新興武士勢力」としてお互いに対抗するようになったと松野頼三は見ている。

 派閥を中選挙区制下での選挙で最も機能するものとするのではなく、総裁選びや人事などの党内の問題で一番に機能するものとしているのは興味深い。また、党と内閣(首相)・政府(官僚)との対立のようなものが派閥の活動を促したというのもおもしろい。
 
 
 さて、もう一つ興味深かったのが保守本流と保守傍流との違いについて。引用の前に、ここで「保守本流」について簡単に説明しておく。

 保守本流とは、一般的には、自由党の吉田茂系列の人を指し、佐藤派、池田派に継がれていく。松野頼三は、「現代の保守本流の流れは、吉田、鳩山以降」だとし、「吉田・鳩山の争いは、保守本流の中での争い」だと断じている。そして、「鳩山さんはじめ三木武吉、河野一郎は保守本流の横綱」だとしている。したがって、「保守傍流」は保守本流以外の保守系の党の人のことを指していると考えてよさそうである。

 それでは、本文を少し長いが引用する。

保守本流と保守傍流の違いというと、水源地の差だ。つまり、支流から合流した水と、本流の水の違いだ。本流がいいと言うんじゃないが、本家育ちの将軍と分家からきて家督相続した将軍とでは、ついてくる家老が違う。子供の頃からの習慣もしつけも違う。そういう差を感じる。
  中曽根君は一所懸命やっているが、安定がない。本人は懸命なんだが、重みがないという感じを受ける。分家出身の才人だ。三木(武夫)さんもその道の元老という感じだ。
  佐藤、池田さんというと、本家からきたのだから当然、という自然に身についた雰囲気がある。分家とは物の考え方が違うのだ。
  いまは平和で、豊かボケといわれるほど太平元禄の世の中だが、戦後の混乱した吉田時代には占領軍が駐留し、朝鮮戦争が起こり、一方では日本復興の大問題ありで、毎月毎月、国を左右するような問題が続発した。デモは激しいし、内外の経済情勢は厳しい。混乱に対処する充分な力はないし、国民には食べ物がなかった。
  こうした中でこれを切り抜ける苦労を政府、あるいは党、つまり政権の立場でやってきたのが本流だ。吉田政治そのものとはいわないが、こうした責任者としての経験をした者が本流で、野党の立場と政権の立場とでは、その苦労に格段の差がある。それが本流の教育を受けた者と、亜流というか、半分協力した人との差だ。責任者と協力者では、おのずから政治の重み、考え方が違う。 (p26)

 このような差から、さらに本流と傍流とのおもしろい違いを見出している。

保守本流というのはイデオロギー的規律集団ではないから、「本流の政策」というものはない。政策形成の過程での考え方というのは、あくまでも現実的だ。たとえば憲法改正問題だが、改正することに反対ではないが、改正しなければならぬ、改正しなければ駄目、という考え方はとらない。改正しなくても、運用でやれる。十年、二十年も改正のために労力を使うより、回り道でも目的に達する道を考える。憲法解釈を柔軟にして、自衛隊のつくり方を考える。現実的、具現性の高いものを選択するわけだ。往々にして「足して二で割る本流方式」と非難されるが、一挙に百点はとれない。 (p28)

 上の二つとも関連するが、もう一つ違いを指摘している。

政策を立案する場合、保守本流はいきなり具体案から入っていく。(中略)しかし、理論武装や演説は下手だ。(中略)
  これに対して本流でない人は、政治現象の理論的な説明や解説など、まず仏をつくり、魂は後回しだ。だから、演説も上手だ。大ざっぱな言い方をすれば、三木内閣とか中曽根内閣は理論的で、吉田、岸内閣などは現実的だ。 (pp28-29)

 両者の人脈の連なりや政策という点での違い以外に、実質的な内容や経験などにおける違いを指摘しているのがおもしろい。

 ちなみに、自分は、思想的、政策的には断然、保守本流だと思っていたが、ここでの区別で言うと、保守傍流の方が近いかもしれない。
 
 
 
 さて、この本は読み物としてはなかなかおもしろい。けれど、やはり時代が違うという感が大きいのは否めない。確かに、昔と比べれば今の政治家は小粒ということになるのだろうが、だからといって、昔ばかりを賛美して昔に戻るのも得策ではないのは間違いないと改めて思った。

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