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原彬久 『吉田茂――尊皇の政治家』 (岩波新書、2005年)
歴代の首相の中でも何かと取り上げられることの多い吉田茂の一生を追った本。副題に「尊皇」とあるけれどそこまで「尊皇」という点に絞って書いているわけではなく、吉田茂の公私に渡る全体像をエピソードなども交えながら初心者でも分かるように叙述している。高坂正尭『宰相吉田茂』などの吉田茂論と対話を試みることはあまり意識されていない(と思う)。
本書が提示する吉田茂像が端的に示されているのは、おそらく以下の文であろう。
「天皇に対する吉田の絶対的帰依は、戦前においても戦後においてもその表われ方に変わりはない。戦前戦中の軍国体制下にあって吉田が「英米派」として「三国同盟」に反対し、なおかつ軍部の独善的政治支配に反旗を翻したのは、何も民主主義のためではない。明治維新に再興した天皇体制を軍部の「反体制」的妄動から守るためであった。」(p233)
ところで、吉田茂というと戦後の首相としてのイメージや行動が有名である。しかし、吉田茂の政治信条がよく表われている出来事は戦前戦中の外交官時代にこそ見られる。特に興味深いのは、吉田茂が、戦中、対中国政策においては非常に帝国主義的で武断的であった一方で、大戦後半では日本が独伊側につくことや軍部の暴走、日米開戦に強硬に反対したことである。
この点について本書では次のように説明されている。中国に対する帝国主義的政策は、1.中国に対する侮蔑感、2.秩序維持を重視する治安主義、3.豪胆な性格からくる自信過剰、の3つの理由によるとされる。一方、独伊側に与することに反対した理由としては、1.軍部はドイツを買いかぶりすぎ、2.枢軸側との協定は「防共」目的から軍事的なものに進展してしまう、3.独伊と英米を比較すれば英米が日本の将来にとって望ましい、という3つが挙げられている。
以上をまとめると、結局、“親欧米イデオロギー”とでも呼べるものが吉田茂の行動の底流に流れていたのが見て取れる。
歴史上の人物というものは過度に美化される傾向があるが、吉田茂といえども結局のところ、「非常に単純な人」(p231、曽根益の回想)であったのだろう。
しかし、その単純さが豪傑さに結びつくとき、以下のような、いかにも政治家としての器の大きさを感じさせるような発言をさせることになる。
「帰京した吉田が寺内(正毅・首相)に挨拶参上に及ぶと、寺内はいきなりこう切り出した。「吉田、俺の秘書官になれ」。寺内に「何かと可愛がっていただいた」吉田の応答がふるっている。「総理大臣は勤まると思いますが、総理大臣秘書官は勤まりません」。(中略)「『生意気な奴だ』と一喝されて、秘書官の職を棒に振ってしまった」のは、いうまでもない。」(pp38-39)
吉田茂にはいかにも“昔の政治家”らしい豪快さがある。
だからといって、「吉田茂は大物だった。それに比べて今の政治家は・・・」という老人たちの嘆きには賛同できない。
過去をいたずらに美化する(自民党の元老たち)のでもなく、過去を全く顧みない(政策新人類)のでもない、そんな政治家像を求めたいのだが・・・。
〈前のブログでのコメント〉
- 小泉内閣を見ていると格差が大きくなったように思います。「能力」のない議員はひたすらコマになるしかなく、「能力」のある議員は徹底的に優遇される。前者のいい例が小泉チルドレンであり、後者の例が竹中、安倍、谷垣です。ただのコマが増えた分、誰でも大臣になれるわけではなくなった。リーダーの恣意性が問題ですが、悪くはない方向だと思います。党の近代化は党内の民主化や候補者選出過程の民主化も伴うと思いますし。
- commented by Stud.◆2FSkeT6g
- posted at 2005/10/30 23:51
- 党の近代化が進むと政治家もコマになると今の自民党を見てるとそんな感じを受けます。
なかなか難しいですね。 - commented by やっさん
- posted at 2005/10/30 21:44