忍者ブログ
by ST25
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 佐藤優 『国家の罠 ――外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮社、2005年)

 
 本書は、鈴木宗男と結託して日本の対ロシア外交を牛耳ったとしてマスコミから散々叩かれ、背任罪と偽計業務妨害罪で逮捕された外交官の手記である。

 この本については、朝日新聞の書評欄で経済学者の青木昌彦が取り上げているほか、個人的に信頼できると思っているブロガーも「おもしろい」と書いていたため読んでみた。

 著者の佐藤優は、同志社大学大学院神学研究科で組織神学を学び(研究テーマはチェコスロバキアにおける共産党政権とプロテスタント教会の関係)、その後、外務省にいわゆる「ノンキャリア」として入省している。

 本書を読んで一番に感じるのは、著者の頭のよさと博識さだ。本書の中でも「情報分析官」という職名に恥じない分析眼を外交分野以外でも発揮している。また、聖書からヘーゲルやハイエクに至るまでの幅広い学識も頻出している。

 そんな著者が本書で書いている内容はかなり衝撃的である。

 基本的な主張は、鈴木宗男と自分が逮捕されたのは「国策捜査」によるものであるということだ。そして実際、それを裏付ける検察官の発言や行動が見られるし、自分の行為は取り立てて問題視するほどのものではない普通の外交行為だと主張する。この主張を時間的経過に従いつつ、具体的な個人名や発言をかなり大胆に明示しながら展開している。

 もちろん、本書で被告人である著者が書いている内容がどこまで真実であるかは確かめようがない。したがって、本書の内容は事件や外交の当事者による一解釈に止まらざるを得ない。しかしながら、個人名を出すなどしてかなり具体的に記述がなされているため、明らかになることの少ない日本外交や外務省の内幕を知ることができる貴重な書であることは間違いない。
 
 と、長々と本書及び筆者の賛辞を述べてきたが、私自身は(ネット上などで見る)本書の肯定的読者とは異なり基本的に本書と筆者に対して手放しで拍手は送れないと思っている。以下で本書(および筆者)の問題点について書いていく。(※かなり引用も多用しているので注意)

 

 本書の問題点は、共通する特徴を有しているように思われる。すなわち、著者によるバイアスが掛かっているということだ。もちろん、個人の手記であるのだから著者自身の観点で書くのは当然だ。しかしながら、事実の説明として書かれている箇所ではできる限り客観的な記述が求められるし、また、著者個人の考えや解釈を書く場合も他のあり得る考えを考慮する必要がある。情報分析官としてロシア政治などに対する冷静な情勢判断を披瀝している著者にはこの種の注意が必要なのは分かっているはずだ。であるにもかかわらず、自己弁護的な方向へのバイアスが掛かっている点がしばしば見受けられる。いくつか例を挙げていく。
 
 
 まず1つは「国益」や「お国のために」といった言葉の使用法だ。これらの言葉は、著者自身が使用するところ以外でも外務省の官僚や政治家などの発言で頻繁に出てくる。具体的には、田中真紀子外相が著者の異動を求めていることについての野上外務事務次官と著者との会話が典型だ。

(野上)「いや、俺たち外務省員のプライドが大切なのだ。田中大臣なんかに負けられない」
(佐藤)「その点について私は意見が違います。プライドは人の眼を曇らせます。基準は国益です」(p99)

 ここでは明らかに田中外相の主張は無知による浅はかな考えであって、自分たちの行動は国家規模での利益を考えたものだという前提がある。しかし、「彼ら自身の主張が国益に適うかどうか」の判断は彼ら自身が行っている。言い換えれば、国益の定義を自分たちで行っているということだ。これは官僚組織に対する典型的な批判が正しいことを見事なまでに表している。つまり、官僚は「国益」という言葉を用いることで「省益」であるに過ぎないものを覆い隠しているのだ。
 
 
 2つ目のバイアスは1つ目とも関連する。つまり、著者(やその他の外務官僚)が外務大臣の主張や行動を奇行や私的利益だと断じて嫌悪感を露わにする点だ。ここでは、(自己が考える)「省益」が全ての判断基準であって、より上位の価値について全く考慮が払われていない。いくら酷いと自分が考える大臣であっても、その大臣は民主主義の理念に則った手続きを経て選ばれているのだ。公務員とは(その内容の如何にかかわらず)民主主義の理念や手続きに奉じることを運命付けられた公僕のはずだ。この観点が抜け落ちている著者(やその他の外務官僚)の行動や考えは数多い。先の引用も一つの例だろう。
 
 
 3つ目のバイアスは鈴木宗男と筆者との関係についての記述で見られ、さらに細かく分類できる。すなわち、第一に、鈴木宗男が外交に関与していること自体の正統性を疑問視する視点が完全に欠如している点。(もちろん鈴木宗男がそれ相応の地位に就いているときは問題ないが。)第二に、鈴木宗男と他の議員との比較の視点がなく、鈴木宗男に対する評価が独善的になっている点。第三に、鈴木宗男と筆者との関係が公私に渡っていて、ほとんど馴れ合い・癒着と呼べるほどになっている点。これらは筆者が鈴木宗男を自分の国益観などから照らして評価していることから起こる、よくありがちなバイアスだ。
 
 
 4つ目のバイアスは、著者の権力観についてだ。著者は、情報分析官であり、情報の政治性に気付いていないはずはない。にもかかわらず、本文の記述においては情報を表面の言葉じりだけで判断するような箇所がしばしば出てくる。特に官僚間や官僚と政治家の間での会話では表面上の言葉じりをそのまま解してはその本質や意図を見損なう。つまり、そこには権力関係が存在しているのであり、発言の内容もその権力関係に規定されることになる。それを見事に表すエピソードが出てくる。著者は以下のように語っている。

二〇〇二年に国会で私が鈴木氏に同行してロシアや北方四島に十九回出張したことが鈴木氏と私の不適切な関係として取り上げられたが、これらはいずれも欧亜局からの依頼に基づき、正式の決済を経て行ったことである。(p174)

 しかし、この「欧亜局からの依頼」が決まった場面というのは以下のようなものである。

私が北海道開発庁長官室で鈴木氏にロシア内政動向について説明しているときに西村(欧亜)局長が訪れ「御多忙中のところ恐縮ですが、国後島、択捉島に鈴木大臣が現職閣僚としてはじめて訪問される機会に、JICAの専門家を連れて、電力調査に行っていただけないでしょうか」と頼みこんだ。
 鈴木氏は私に向かって「あんたも現地を見てみないか」と言うので、私は「是非見てみたいと思います。ただこれはうちの局(国際情報局)の話ではないので、私が決めることのできる話ではありません」と述べると、西村局長が私を遮り、「佐藤も同行させます」と答えた。
 こうして私は欧亜局長の要請に基づいて北方四島に出張することになった。(p174)

 権力を有する鈴木宗男の意向に反して欧亜局長が佐藤優を同行させることを拒否させることは事実上できない。
 
 
 5つ目のバイアスは上の点でも少し出てきている。つまり、著者が本文中で行う諸々の人たちの発言の解釈が恣意的であることだ。ときには発言の政治性を汲み取って解釈しているのに、別のところでは発言を文字通り解釈していたりする。これを例証するのは、この本のメインとも言える逮捕後すぐの取り調べでの西村検事と著者との会話の箇所だ。

(西村検事)「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」
 (佐藤)「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」
 (西村検事)「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」(p218)

 この文は著者が自分と鈴木宗男が捕まったのが「国策捜査」によるものだというのを端的に示す一つの根拠として出てくる。しかし、まず第一に、本当に国策捜査だったとしたらむしろ検事は国策捜査なんていう言葉を持ち出さないであろう。そして第二に、この種の発言は検事が被告が諦めて証言や自白をするようにするための脅し文句だと解するのが一般的だ。なのに、ここでは著者はあまりに素直に理解している。
 
 
 さて、6つ目のバイアスは上でも出てきた「国策捜査」についての著者の主張の曖昧さだ。著者は自己の逮捕を「国策捜査」によるものだと(公判でも)主張している。しかし、その肝心の「国策捜査」についての記述が一貫していないように思われるのだ。例えば、この国策捜査の黒幕(主導者)に関して、ある箇所では森善朗前首相であるかのようにほのめかしているが(p344)、また別の箇所では山崎派の参議院議員だともほのめかしている(p103)。しかし、また他方では西村検事の以下のような発言もある。

(西村検事)「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」(p287)

 そして、政治家に対する国策捜査での法律の適用基準について以下のように続く。

(西村検事)「実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。」(p288)

 もしこちら(後者)の国策捜査像であるのなら国策捜査とは呼べない。果たしてどちらなのだろうか。思えば、本文中には著者自身による「国策捜査」の定義やメカニズムが全く述べられていない。そして、論拠のほとんど全てが状況証拠に基づくものである。
 
 
 
 さて、以上、著者の6つのバイアスについて説明してきた。しかし、どれも一つしか例を示していない。実際には同種のバイアスがところどころに見られる。

 そして、この6つのバイアスに留意しながら本書全体を読むに、私は「本書での著者の主張は信頼するには留保を科す必要がある」と結論付ける。しかしながら、本書の内容の全てが虚偽であるとは思われない。またあるいは、著者の主張が事実である可能性も全くないとは言い切れない。(何せ権力は信用できないから)
 
 
 ところで、以上の全てを勘案するに、こんな憶測を呼び、読者を惑わす本を出す著者・佐藤優はやはり「怪僧ラスプーチン」であるように思われてならない。しかも、「外務省のラスプーチン」ではなく、「日本のラスプーチン」だ。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[10/20 新免貢]
[05/08 (No Name)]
[09/09 ST25@管理人]
[09/09 (No Name)]
[07/14 ST25@管理人]
[07/04 同意見]
最新トラックバック
リンク
プロフィール
HN:
ST25
ブログ内検索
カウンター
Powered by

Copyright © [ SC School ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]