by ST25
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J.K.ガルブレイス 『満足の文化』 (中村達也訳/ちくま学芸文庫、2014年)
この本で語られるのも根本は同じことだ。つまり、経済的に満たされる状態になった人たちは現状肯定的な、寺島実郎が言うところの「生活保守」的な態度・精神になってしまっていると。そして、政治制度も経済学もそれを支え、正当化するものになってしまっていると。
「 裕福な人々の信念は、自分たちが引き続き満足を得ることを正当化してくれる大義名分を生み出す。 」(p12)
この現実に加えて、現代においては次のような事態がその拡散に貢献している。
「 支配権を握っている満足せる階層の信念が単に少数者のものではなく、今や多数者のものとなったということである。 」(p21)
民主主義の世の中においては、この現実が「満足の文化」を公共的な制度の隅々までに浸透させることへとつながっていく。
その結果、新自由主義を信奉し、政府の介入を過度に嫌い、増税に反対し、官僚的組織に依存し、少数の下級階層の労働を利用し、という社会が形作られる。
もちろん、多くの人が経済的に満たされている「満足の文化」が浸透した世の中は悪いことばかりではない。裕福になり身近に問題がないことによる投票率の低下などはそれほど目くじらを立てるほどのことでもないのだろう。
その一方で、同じ国に貧困に苦しむ人がいようともお構いなくあくまで自己中心的にだけ考え、現状を肯定しているかのように見えるアメリカ社会の今を見るに、楽観してばかりもいられないという危機感も持っておく必要はありそうだ。
アメリカに関して言えば、町山智浩『99%対1%』に描かれているような「満足せる人たち」がほんのわずかという極端な状態になっていると見ることも可能であり、「満足せる人たち」が多数を占めていた時代がむしろ素晴らしい時代に思えなくもない。
翻って日本のことを考えるに、厚生労働白書が「中流崩壊」を取り上げるなど日本でも格差が拡大する方向へと進みつつあったりした。(最近のデフレ緩和で今後どうなるかはまだ分からない。)そして、 かつての「横並び社会」を二度と取り戻すことのできない楽園として懐かしむ日さえ来るかもしれない。
この本の原著が書かれたのは1992年だが、今や、「満足の文化」の先を見据える必要があるのだと思う。
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