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by ST25
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 林博史 『BC級戦犯裁判(岩波新書、2005年)
 
 
 いわゆる「歴史認識」に大いに関連する対象を扱っているけれど、気持ち良くもなれないし、自尊心も満たされないし、他人を思いやれる“優しい”人にもなれない、そんな本。筆者に全く偏りがないとは言えないけれど、学者としての倫理観は持ち合わせていて、信用できる資料をもとに事実を示すことに主眼が置かれている。

 したがって、BC級戦犯裁判について、実際の裁判例もふんだんに取り入れながら概括した、この問題についてのよくまとまった分かりやすい入門書となっている。そんなわけで、初学者の自分にも具体的なイメージを喚起しながら読むことができた。

 一番の率直な感想は、自分の国が他国に迷惑をかけたそれほど遠くない歴史についてまだまだ知らないことがあり、それは日本が行った行為の問題ではあるのだが、同時に戦争一般が内包する問題でもある、というありきたりだと思われていること。自分の不勉強もあるが、他の多くの日本国民も知らないことは多いのではないかと改めて思う。分かっているのは「戦争してアジア諸国に攻め入った」という漠然とした事だけなのではないかという気さえする。あまりに浅薄な認識で謝罪しても、それでは意味をなさない。

 もちろん、BC級戦犯というものは基本的には被告個人の問題なわけだが、戦争遂行中の行為に対して果たしてそうと言い切れるかは、疑わしい。
 
 
 法務省の資料に依った本書のまとめによると、“通例の戦争犯罪”を裁く対日BC級戦犯裁判では、被害を受けた国である米・英・豪・蘭・仏・中・フィリピンなどにおいて、5700人が起訴され、死刑が最終確認されたのが934人、無期・有期刑が3419人となっている。ただ、全ての国を通しての戦犯裁判の最大の特徴は、政治環境が大きな影響を与えていること。影響に止まらず、ほとんど成り行きを決していると言ってもいいくらいだ。8ヵ国の戦犯裁判の特徴を要約した箇所を見るとその内実がよく分かる。長いが引用しておこう。

中国とフィリピンのように、本国が直接日本に侵略され、民衆が被害を受けた国の裁判では、もっぱら民衆への犯罪が裁かれたことは当然であろう。ただ中国の場合、裁判の内容においても、その終息においても、国共内戦が深刻な影響を与えていた。フィリピンは、中国に次いで日本軍による住民虐殺が頻発した地域であった。特に44年秋に米軍が再上陸し、抗日ゲリラの活動が活発になるなかで、そうした残虐行為が多発した。フィリピンは日本に対して厳しい姿勢で臨んだが、戦後賠償との関連で戦犯の早期釈放がおこなわれた。
 イギリス、オランダ、フランスという、東南アジアに植民地を持っていた西欧諸国の場合、本国と植民地の民族運動との関係が、戦犯裁判のあり方に大きな影響を与えた。比較的民族運動が弱く、また華僑の多かったマレー半島やシンガポールのようなイギリス植民地では、抗日運動が強く、そのため日本軍の民衆に対する残虐行為がひどかった。イギリスは植民地民衆の支持を獲得して植民地を再建するうえでも、そうした民衆の被害を積極的に取り上げて裁いた。
 宗主国フランスが民族運動を徹底して弾圧し、かつフランスと日本が共同で支配したインドシナでは、民衆は、日本だけでなくフランスにも強く反発した。フランスが日本と共同の加害者であったという事情もあり、フランスは植民地民衆への(日本軍による)残虐行為を裁こうとしなかった。
 (中略)
 フィリピンを除いて東アジアに植民地を持っていなかったアメリカは、もっぱら米兵捕虜に対する残虐行為を裁いた。植民地の民族運動に直面することなく、かつ冷戦の影響をあまり受けなかったオーストラリアは、共産主義よりも日本軍国主義の復活を警戒し、最後まで戦犯処罰を遂行した。(pp115-116)

 ・・・ひどいものだ。
 
 
 さて、戦犯裁判の他の問題点として「上官の命令問題」がある。この問題に関しては、第二次大戦中、連合国戦争犯罪委員会が「上官の命令にしたがって行動したという事実だけでは戦争犯罪を犯した者をその責任から免責しないという見解」を満場一致で承認している。しかし、実際の戦犯裁判では末端の実行者まで起訴されたケースは少なく、命令者あるいはその下位の指揮官レベルまでしか起訴しないことが多かった。ただ、

命令者といっても現場にいた者が裁かれる傾向はあり、上級の命令者、あるいは明確に命令していないにしてもそうした状況に追いやった上級者が裁かれない傾向があったことは否定できない。(中略)(このことが、)裁かれた者たちに不公平感を残したことは事実だろう。しかし命令に従った者には責任がないと言うならば、その論理を突き詰めていくと、(以下略)。(pp173-174)

 これまたひどいものだ。
 
 
 (政治環境という先述の点も含めて)このような戦犯裁判に関する不公正な事実から、戦争責任に関連してなされる、東京裁判=A級戦犯に対するのと同様の主張が可能になるだろう。すなわち、以下のようなものだ。

東京裁判がきわめて疑問の多い粗雑なものであったとすれば、こうした「戦争責任」を、日本国民自らが再点検してみるべきではないか。/戦勝国による政治的枠組みの中で規定された「戦犯」概念とは一定の距離を置いた見直しが、必要だろう。/それは、「A級戦犯」14人を合祀した靖国神社の論理とも一定の距離を置いた見直しでもあろう。(読売新聞2005年8月15日付朝刊・社説)

 以上をまとめると、BC級戦犯裁判は各国の政治環境に左右された不公正なものであって、しかも責任追及が現場の軍人に偏重していた。そこで、「戦争責任を日本国民自らが再点検」する必要が生まれる、ということになる。

 このとき、真っ先に議論の俎上に上るのが天皇であることに異論はないだろう。不勉強のため、ここで詳しくは論じられないが、憲法上・制度上、トップの地位を与えられ、実際に、政策決定の場にもいた人間に責任がないとは言えないのは間違いない。しかも、その責任が小さなものではないのも間違いない。これが「現在の日本国民」が論理的に考えたときに導かれる自然な結論だろう。

 ちなみに、参考までに、終戦当時、日本国自らが戦犯を裁くという試みがなされているとのことであるから紹介しておこう。それは俘虜関係調査中央委員会である。閣議によって設置が決定されたこの委員会は、調査を行い報告書をまとめている。その結果、8人を処罰した。例えば、フィリピンでのいわゆる「バターン死の行進」を指揮した本間雅晴陸軍中将は、礼遇停止という“行政処分”を受けている。しかし、これはとても連合国の容認できるものではなく、GHQは日本側の自主裁判を禁止した。(本書p47参照)
 
 
 最初にも書いたが、この本を読んで得た最大の収穫は、日本軍が他国で犯した戦争犯罪という具体的な行為の内容と、その後の不完全な処理をリアリティーをもって知ることができたことである。

 このような事実を知ったとき、終戦から60年経った今現在、戦犯裁判についてできることは2つのうちのどちらかであろう。すなわち、一つは、読売新聞が主張するように改めて一から再検証を試みること。そして、もう一つは、戦犯裁判が不公正なものであったという事実を認識しながらも、それをそのまま受け入れること。

 もちろん、感情論や正論では前者であろう。私個人も前者の立場に立って、改めて、天皇の戦争責任や、東郷や広田といったA級戦犯たちの刑罰の適切さや、岸信介や重光葵といった戦犯でありながら釈放後に何事もなかったかのように表舞台で活動した人たちの道義的責任、アメリカなどが行った戦争犯罪、等々について問い直したい気持ちはある。しかし、60年間も消極的にであれ追認してきた事実や、裁判が戦争後という非正常時だったことなどを考えると、戦犯裁判をそのまま受け入れるという後者の選択肢を選ばざるを得ないと思う。

 ただ、そのような選択をしたとしても、なお問われ続けることが可能な問題はある。それは、「戦争責任」ではなく、「戦争原因」についてだ。原因に主眼を置くことは、より自由で建設的な議論を可能にすると思われる。
 
 
 まだまだ歴史問題については勉強が足りないとはいえ、上で書いたことはそれなりに自信を持っている考えだ。ただ、自分の考えが旧来の自虐/自慰の二分法から判断されないことだけは最低限、願いたい。



〈前のブログでのコメント〉
正義の味方さん、拙文をお読みいただき、わざわざコメントまで下さりましてありがとうございます。

ご指摘の点ですが、私自身の態度を決めるには、いくつか情報が足りていないように思います。したがいまして、いくつかお聞かせ願いますか。

1つは、「 私が理解すべき“第二次世界大戦当時の世界情勢”、あるいは“当時の論理感”とは具体的には何のことでしょうか? 」

それから、2つ目は、1点目の不理解とも絡んで、「 私の文章の中で、“歴史を正確にとらえられていないところ”、“感情移入しているところ”、“偏った見方をしているところ”、“資料の扱い方に問題があるところ”とは、それぞれ具体的にどこのことでしょうか? 」

最後、3つ目はやや細かいことなのかもしれませんが、正義の味方さんが使われています、「論理感」という言葉が気になりました。と申しますのも、“論理”という言葉と、感情や感覚などを表す“感”という言葉とは矛盾するように思うからです。そして、もし議論の前提である“論理”に対する考え方に齟齬が生じていたら後々厄介ですので、この言葉についてあらかじめご説明いただけたらと思います。

お聞きしたいのは、以上の3点です。

もしお時間がありましたら、以上の点についてお応えいただければ幸いです。
commented by ST25@管理人
posted at 2007/10/18 18:06
もし貴方が日本の近現代史に興味を持たれたのであれば、今現在あなたが抱いている第二次世界大戦以前の貴方の抱いている姿をすべて忘れてください。そして当時の世界情勢がどのようなものであったかをまず理解する必要があります。そして今現在とはあまりにも違う論理感を理解することが何より必要です。そのことなしで各個々の事象のみでとらえても
理解できないことの方が多いです。そのため、歴史を正確にとらえることができず感情移入してしまい、偏った見方をしてしまい、資料の扱い方にも影響が出るようです。林先生もその辺のことがなおざりになっているようです。とくに現代史では生存者に証言を聴くこともあり、つい感傷的になり、検証を少しおこたることもあるようです。
commented by 正義の味方
posted at 2007/10/18 01:25
情報、ありがとうございます。

名無しのごんべは0点だと学校で習いませんでしたか(笑)
commented by Stud.◆2FSkeT6g
posted at 2007/03/30 18:46
http://www.diplo.jp/articles05/0508-4.html

この辺を見るあたり、林先生が偏りのない人とはとても思えませ。
commented by
posted at 2007/03/30 16:04
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