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入江昭 『歴史を学ぶということ』 (講談社現代新書、2005年)
ハーヴァード大学の歴史学(アメリカ外交史、国際関係史)の教授による公私、過去・現在にわたる回顧録。自叙伝、研究の軌跡、現代の世界認識の三部からなる。入江昭の包括的な人となりが非常に簡潔にまとまっている。200ページほどの新書でこれだけの内容を書ける著者の文才には感心する。
第一部の自叙伝では、日本生まれの純粋な日本人がいかにしてアメリカの一流大学の教授になったかという疑問にも詳しく答えてくれている。その答えは、一義的にはアメリカの大学・大学院での猛勉強によるものだが、著者のブルジョア的な家庭環境の貢献も大きいように思える。著者はこの後者の点についてやや無自覚なところがあり、読んで多少反感を持つかもしれない。ただ、それだけ率直に書いているということであり、この第一部と研究の軌跡を書いた第二部はとてもおもしろかった。そして、多分に触発された。
第三部の現代の世界認識は、著者の「歴史認識問題なるものの根底には、現代世界をどう理解するのかという問題が存在している」(p178)というような信念に基づいている。日本から異国に渡って仕事をしている著者の姿勢は、その国その国の特殊性を強調することに反対し、異なる国家や文明の間の共通性を探そうとするものである。そして、1970年代以降のグローバリゼーションを重視し、文化交流やトランスナショナルなものや非国家アクターなどを強調する。いかにも学者らしい(ややおもしろみに欠ける)主張・認識ではある。ただ、一冊の本としてのまとまりや包括性のためにこの第三部が必要であることは理解できる。
ただ、とにもかくにも、この本の功績は、200ページほどの新書でも公私、過去・現在についての自叙伝を書くことが可能なのを示したことだという気がする。やはり、先達たちの人生を知ることは非常におもしろいし、自分の人生の役にも立つ。それが、手軽な新書で読めるのはありがたい。今後も同様の企画が多くの人で行われることを期待したい。