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山形浩生 『新教養主義宣言』 (河出文庫、2007年)
評論家、翻訳家、大手シンクタンク・コンサルタントである著者が各所に書いてきた文を集めた本の文庫化。書評1本、文庫版あとがき、宮崎哲弥による解説が新たに加えられている。
書籍用に書き下ろされたのではない文は、著者のウェブサイトで読めるけど、移動時間用につまらない新しい本を買うよりは、読むのが二度目でも確実におもしろいし有用だから購入。 (けど331ページの文庫が798円とちょっと高め。)
やはり、鋭さと自由さゆえの痛快なおもしろさがある。
「プロローグ」では、教養の効用について啓蒙的に語っている。本人がどこまで本気かは分からないけれど、かなり納得させられる。 (ここでは教養の定義とか細かいことは気にしない(する必要がない)。)
ただ、著者は消費者の側の教養のなさばかりを語っているけど、今では生産者側に全く教養がない(上にそれに開き直る)という終末的状況が現れている。これで消費者に教養を求めるのは酷である。新しい作品を消費する限り、教養は必要ないのだから。
とはいえ、この「プロローグ」を読むと「教養、身に付けよう!」というモチベーションが沸いてくる。
そんな風に読者を巻き込んだ上で、著者の教養が縦横無尽に使いこなされていく。
著者の話は、不真面目で適当でトンデモナイもののように思えるけれど、その表面上の見た目に流されずに真面目に向き合うならば、反論するのがかなり難しい。
例えば、「消費税を7%に上げよう!」。不景気脱出のために消費税の増税を主張している。
昨今の不景気は消費者のデフレ期待によって起こっている。そこで、日銀が(緩やかなインフレ率の)インフレ目標を掲げることで消費者をインフレ期待に変えようとするのが、クルーグマンなどによって唱えられる通説である。
これに対して著者は、政府が消費税増税という「強制的な“インフレ策”」を掲げることで消費者をデフレ期待からインフレ期待に変えることができるとする。具体的には、2年後に7%にし、そのまた2年後に10%にすると宣言するとか。
もちろん、この政策は永続的ではないし、期待を変えるきっかけにしかならない。けれど、現状のデフレ期待による不景気(まだ抜け出していない)を脱出する政策としては筋が通っている。
この主張を、日経読んで満足してるようなレベル以下の人たちに真面目に訴えたら納得してしまいそうだ。
( ※ちなみに、例えば、民間で消費されてた分が公共部門に行くわけで、その(民間部門に比べた)公共部門による消費の非効率の分がマイナスになると考えられる。けど、金が余ってる状況での増税なわけで、貯金してる分=銀行に余ってる分が税金として吸収されるだけとも考えられる。しかしながら、そもそも、増税の目的はとりあえずの需要を増加させる(とりあえずインフレ期待を起こさせる)ことにあるのだから、上の話は反論にはなっていない。となると、増税効果による需要増は増税後の消費を先取っただけで、結局、増税後の消費を減らすことになり、これが、とりあえずの需要増よりも良くないことを示さないといけない。 )
この主張以外にも、選挙権を1人10票にして1人3票まで売買可能にする案とか、権利というものの存在を退ける主張だとか、「教科書に書いてあるから正しい」とか「みんなが言ってるから正しい」とか言ってる人には到底反論できないような主張が登場してくる。
経済学などの学問に裏付けられているとは言え、この発想のしなやかさは、著者が造詣の深い分野の一つであるSF小説に由来するのではないかと想像され、色々とSF小説を読んでみようかと思わせる。 (時間があれば実際に色々読んでみよう。)
そして、文体。
正直なところ、このブログで自分が(特に)ダメな対象を語るときの語り口・口調(および内容の一部)は、この著者に影響されている。というか、自分の頭の中の調子(?)が著者の語り口・口調と近かったから影響を受けた、というのが正確なところ。
とはいえ、自分にはどうしても拭いきれない真面目さの存在は大きな違いではある。
それに、社会系の話を語るときには特に、そう気楽にはなれない。これは文体にも内容にも当てはまる。
まあ、これらは(大上段から正当化すると)民主主義的・共和主義的・啓蒙主義的信念を持っている一日本国民としては譲れない一線のような気がするから別にいいと言えばいいのだけど、いかんせん内容がつまらなくなるのがブログとしては問題だ。悩ましい。
色々語ってきたけど、この著者の本はおもしろいからついすらすらと読んでしまうのだけど、騙されないためにも勉強するためにも自分を鼓舞するためにも、改めてじっくり読んでみる必要がある。