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by ST25
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 劇団BLUESTAXI・第13回公演 『東京アカイイト』 (2006年12月6日~10日、@中野 ザ・ポケット)
 
 
 以前、このブログにコメントしていただいたことのある森幸子が客演で出ている舞台。

 クリスマスの夜に展開される、さまざまな二人組(『アカイイト』というタイトルだけど恋人同士に限らない)の人間模様を描いている。

 テーマは、ツンデレ

 まさに2006年を締めくくるのにぴったり。

 ツンツンしている人が最後にはデレデレになる。

 より一般的な言葉で言うと、常日頃さんざん突っ張ってる人がクリスマスの夜に素直になる。
 
 
 雰囲気、空気感がすごく良かった。

 完全にクリスマスの夜だった。

 これは、ムードのある歌やセットに依るところもあるけど、何より、“全”出演者のレベルの高い演技による。

 ムード、雰囲気を壊す演技がないから、そこに架空の世界が完璧に作られ、舞台上の世界に入り込むことができる。

 実の母が死に、その再婚相手である知り合ってまだ一年ほどの義理の父に、「二人で暮らそう」と言われる高校生の娘の役を演じた森幸子の演技も良かった。

 叫んだり、冷静に突っ込んだりが、義理の父を突き放すというより、若さゆえの照れを隠すとともに、義理の父に変わってほしい、分かってほしい、愛してほしいというような気持ちの現れ、心の叫びに聞こえ、最後の、素直になるところにつながる好演だった。
 
 
 ところで、この舞台の物語が展開される「クリスマスの夜」は果たしてムードのある夜だろうか?

 「聖夜」という言葉に明らかなように、クリスマスというイベントのクライマックスは「イヴの夜(聖夜)」であって、「クリスマス(25日)の夜」ではない。

 いや、この舞台でも、このことに対する突っ込みらしきものは一箇所出てきた。

 ただ、今年の25日はブルー・マンデー=月曜日だけど24日は日曜日、といったことに結び付けられたりしていて、話の展開上、その他の話につながる重要なものではなかった。

 果たして、製作者は「クリスマスの夜≠聖夜」という問題に気づいていなかったのだろうか?(普通に考えてそんなことありそうもない)

 これが意図的であるとすれば、「クリスマスじゃない普通の日も大切にして、いつもあったかい気持ちでいましょう」というメッセージだと受け取れる。

 けれど、クリスマスケーキを売る/買う人が出てきたり、独り身の男が「死にたいくらい淋しくなる」と言ったり、クリスマスソングが多用されていたり、という雰囲気抜群の舞台を観ても、ちらしを見ても、それが「聖夜」であるかのように作られているのは明らかだ。 (そうでないと観るには無理がある。それに、25日の夜は、安売り中のケーキや、装飾の片付けなど、ムードのある雰囲気とは言いがたい。)

 メリー・クリスマス。
 
 
 最初に書いたように、この舞台は、「クリスマスの夜に、今までさんざん突っ張っていた人が素直になる」という(ツンデレ)話である。 (※ここでは「クリスマスの夜≠聖夜」問題は措いておく)

 では、彼らは、なぜ素直になれたのだろうか?

 「クリスマスだから」と思うだろう。

 確かに、クリスマスのあったかい雰囲気が無意識のうちに人を素直にしたという解釈は成り立つ。

 けれど、舞台を観る限り、そのこと(素直になる際の「クリスマスの雰囲気効果」)が意識的に話の中に取り入れられているとは思えなかった。

 むしろ、ストーリーを素直に理解すると、結局、「素直になれた(本音が出た)」のは、怒って感情的になったから、酒で泥酔したから、母親の死に際だから、見知らぬ人の優しさに触れたから、である。

 となると、「クリスマスの夜」という舞台設定にはストーリー展開上、本質的な意味があったのか疑問である。 (設定上の便宜的な意味はあったにしても。)

 それから、上に挙げたような理由(状況)であっけなく素直になれる“浅薄な人間”を登場させるというのは、いただけない。 (「母親の死に際」というのは別にしてもいいけど。)

 人間の心や理性(の特に核心的な部分)は、そんなに簡単に、変わったり、素直になれたりするだろうか?

 確かに、簡単に変わることもあるし、簡単に変わる人もいる。

 けれど、そういう、ストーリー展開させやすい浅薄な人間を描いたのでは、物語としては面白みや深みがなくて、得られるもの、感じとれるものが少なくなる。
 
 
 
 そんなわけで、演技のレベルの高さと、話(ストーリー)の平凡さが対照的な舞台だった。
 
 
 
 けど、いずれにしても、これまでのところを読めば分かるとおり、実物の森幸子が思いのほかかわいくて良い子だったなんて一言も書いてない。

 と、ツンデレ風に締めてみる2006年冬。



〈前のブログでのコメント〉

また観に来て頂き、ありがとうございました☆★
ご挨拶できず、すみませんm(__)m
なるほどぉ、、確かにツンデレですねぇ。。
楽しんで頂けたようで、良かったです(^^)
沢山ご感想もありがとうございます!
これからの参考にさせて頂きますw
commented by もりこ
posted at 2006/12/14 12:00 

コメントありがとうございます!ご挨拶、させて頂きましたよ!2回も(笑) (最後のツンデレ風のボケ、分かりにくかったですかね?w)

舞台はじっくりと味あわせていただきました。ど素人の感想ですが、少しでも参考にして頂ければ幸いです!

それで結局、25日の夜という設定にはどんな意図があったんでしょう??? 気になる・・・w

commented by Stud.◆2FSkeT6g 
posted at 2006/12/14 21:19

 ええっ!!??
 2度もご挨拶させていただきましたか?
 どなただぁ、、どなたなんだぁ。。(><;)
 クリスマスって確かに特別じゃないです。。
 でもやっぱり特別じゃないですか。。
 小さい頃からクリスマスって聞くとやっぱりワクワク
 しましたし、クリスマスの夜に一人でいるといつもより
 淋しいと感じてしまったり、、
 きっと周りがみんなウキウキしていて温かいから、
 普段より大きく温度差を感じてしまうんですね。。
 これは彩歌の心情で考えたのですが、
 彩歌にとってあのクリスマスはお母さんをなくしてから
 初めての一人ぼっちのクリスマスだったのです。
 もちろん、本当はおばあちゃんもおばさんもいるし、 
 一人ぼっちなんかじゃないのですが、、どんなに良くして
 もらっていても、17歳の彩歌にはそう簡単にそこが自分の家
 だと受け入れることが出来なかったのです。。
 ちょうどその一年前のクリスマス、初めて矢野さんがうちに
 来た日、、最初はすごく嫌だったけど、あまりに矢野さんが
 優しくて泣き虫で自分に素直で、お母さんもすごく幸せそう
 だったから、その時は自分でも意識をしないうちに心を開き、
 心の底から楽しんでいたのです。。
 この人なら、お母さんを幸せにしてくれるんじゃないか、
 3人で幸せに暮らせるんじゃないかって、期待さえしてしまっていたのです。
 それからの1年もたたないうちに母が事故にあうまでの間、
 3人で映画をみたり、食事をしたり、買い物にいったり、
 矢野さんは何かことあるごとに、泣いたり、大声で笑ったり
 正直呆れるところもあったけど、そんな素直に喜怒哀楽が
 だせる矢野さんに少し憧れていたのかもしれません。
 彩歌のなかで矢野さんの存在は確実に大きくなっていたし、
 本当は大好きだったのです。
 でも、だからこそお母さんを亡くした時に、また幸せになれる かもしれないって期待していた自分が滑稽で、
 もう何も期待したくない。期待するから、それが叶わなかった
 時に傷つくことになる。もうあんな想いはしたくない。
 と自分の殻に閉じこもってしまっていたのです。。
 でもやっぱりクリスマスの夜だけは、どうしようもなく孤独を
 感じてしまって、真っ直ぐ家に帰ることができなくて、
 お母さんが亡くなったときに色々お世話をしてもらったから
 そのお礼を言うだけって自分にいいわけをして、
 矢野さんに逢いにいったのです。
 でも本当はただたんに誰かに甘えたかっただけ。
 矢野さんもクリスマスの夜に彩歌を一人にしたくなかった、
 もう淋しいおもいをさせたくなかったからこそ、
 出張帰りのその足で彩歌に逢いにきてくれたのだと思います。
 クリスマスは特別じゃない、普通の1日。
 でもやっぱりどこか特別な日、それがクリスマスなのだと
 私は思います。 
 
commented by もりこ
posted at 2006/12/15 17:15

真剣にお応えいただき、ありがとうございます。若干、感動しておりますw

台詞に出てこない彩歌の気持ちとか情報とかは、舞台を観て思い描いていた彩歌のイメージとあまりに同じだったので、プロの役者さんはさすがだなぁと、改めて感心させられました。(「バカにするな!」って怒られそうですが、思ってた以上にすごかったもんで・・・w)

その上で、真剣にお応え頂いたので、こちらも真剣にお応えさせて頂きます。

まず、「25日の夜」に関して自分が指摘した問題点は2つありました。1つは、「クリスマス(25日)の夜は、聖夜(24日の夜)ではない」という問題。もう1つは、「登場人物たちが素直になる際に、クリスマスであることの意味、あるいは、クリスマスの雰囲気の効果、がどれだけあったのか?」という問題。この2つです。

今回のコメントでは、2つ目の問題に対してお応え頂いたと思います。それで、その内容を簡単にまとめさせていただくと、「クリスマスは特別な日。彩歌(娘)と矢野さん(母親の再婚相手)が逢ったのもクリスマスという特別な日だったから。」ということだと思います。この点に関しては、自分も異論がないですし、コメントを読んで舞台で観た以上に理解が深まりました。

ですが、「二人が逢うこと」は今回の舞台では前提となっていて描かれておりません。それに、自分が指摘した問題は、「“素直になる際”に、クリスマスであることの意味があるか?」です。

「素直になる」というのは今回の舞台でストーリーが大きく展開する最も重要な場面です。ですから、6つ全ての話に共通して出てきました。死に際の母親に対して「あんた」と言っていた娘が「おかあさん」と呼びかけるのが一つの例です。

彩歌と矢野さんの話で言えば、「素直になった」のは、彩歌が嫌がっていたマフラーを巻いたとき、笑顔で手を振ったときです。果たして、この、物語の最重要なシーン(展開)に「クリスマスであること」は関係していたのでしょうか? 関係ないとすれば、今回の舞台の「クリスマスの夜」という設定に“本質的な意味”はなかったと言えるのではないでしょうか? というのが、自分が指摘した問題です。

ちなみに、自分が指摘した2つの問題のうちの1つ目である「クリスマス(25日)の夜は聖夜(24日の夜)ではない」という問題に関しては、直接的には応えておられませんが、コメントを読む限り、この問題は意識されていないように思います。


長くなりましたが、以上が、自分が本文とコメントで書いたことの意図と、頂いたコメントへのお応えです。

話し出すと終わりが見えなくなる可能性がある話ですので、お応えいただかなくても結構ですよ。本当に。自分が考えたことがもりこさんに読んで頂けるだけで、自分にとっては最高の幸せです!


ちなみに、もりこさんのブログでは、ST25という名前でたまに書き込ませて頂いておりますw 隠すつもりはなかったのですが、あえて明らかにしなくてもいいかなと思ってたもので・・・。 

そんなわけで、これからもよろしくお願いしたいと思っています!w 
commented by Stud.@Webmaster
posted at 2006/12/16 00:53  
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