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瀬川松子 『中学受験の失敗学――志望校全滅には理由がある』 (光文社新書、2008年)
中学受験に取り“憑かれ”、“疲れ”果てる「ツカレ親」の惨状を中心に、中学受験の現状を、その負の側面も包み隠すことなく詳(つまび)らかにしている本。
「 中学受験を主題にした単行本や雑誌記事に見られるアドバイスは、どれも「そこそこ知的環境が整った家庭」の「そこそこ頭のいい子」にしか通用しない理想論ばかり 」(p13)という疑問が、著者の執筆動機。
自分の子どもを思う気持ちは分かるが、自分とその自分が育てた子どもの頭の悪さに気づかない親たちの実例がいろいろ紹介されていて、おもしろい。
ただでさえ、自分以外の他人に何かをさせることは難しいのに、それが遊びたい盛りの子どもとなるとなおさらだ。
それに、結局のところ、“できる子”というのは親がいちいち言わなくてもある程度は自分でできるものなのではないだろうか。(12歳であっても。)
そして、もしそうであるならば、親がいちいち何から何まで言わなければならない時点で、ダメ、あるいは、厳しい戦いを強いられるのではないだろうか。
卓球の福原愛が小さい頃、「天才少女」と話題になり、その練習の様子がテレビでしばしば流されていた。それはもう地獄絵図で、本人は泣きじゃくってるのに親が厳しく叱ってワンワン泣きながら練習をさせているという映像だった。いくら小さい子どもで、いくら親だからといって、そこまで人格を尊重しなくていいのかと嫌悪感をもったものだ。無理やりやらせるだけなら、ただの奴隷だ。悪いことをしたから叱られるというのと、(仕事というわけでもない)卓球ができないから叱られるというのとでは質が違うだろうし。
要は、人を人として見る、ただそれだけのことだ。