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 苅部直 『丸山眞男――リベラリストの肖像(岩波新書、2006年)
 
 
 丸山眞男の辿ってきた人生、思考遍歴を静かに追った良書。

 巷に流布する妙に必死な批判書とも賛美書とも一線を画している。(著者の言葉で言えば、これらは「丸山病」と呼ばれる。)

 そんなこの本で著者が描き出す丸山眞男像――自分もそれを全面的に支持する――は、「(社会的な問題に関して、)感情的なものを忌み嫌い、理性的な態度を擁護する」というものである、と読み取れると思う。

 丸山眞男の様々な文章は、全てこの問題意識の応用・適用だと見ることができる。すなわち、この大問題意識は、「なぜ感情的になってしまうのか?」「どうすれば理性的であれるのか?」という二つのサブテーマに分けられ、典型的には、軍国化した日本の精神構造分析が前者に属し、(戦後)民主主義を信じる態度が後者に属する。

 近年の社会の趨勢は、右傾化した政治だけに限らず、文化やマスメディアなど社会のあらゆる分野が丸山眞男が危惧した方向に速度を緩めることなく向かっている。その際たるものが、藤原正彦『国家の品格』の大ヒットだとも言える。

 論理や理性の限界を安易に強調し、感情的・感覚的な「常識」に盲目的に従う姿勢は、「言うまでもなく分かるでしょ?」という、たった一言の問いかけに対する答えだけで「内と外」を区切ってしまう。これが政治の分野に持ち込まれたときに起こるのが、少数者の迫害であり、ナチズムのような独裁政治である。

 こう考えると、著者が今という時代に描き出した丸山眞男像は、非常にアクチュアルなものであって、意義深い。

人と人、集団と集団、国家と国家が、それぞれにみずからの「世界」にとじこもり、たがいの間の理解が困難になる時代。そのなかで丸山は、「他者感覚」をもって「境界」に立ちつづけることを、不寛容が人間の世界にもたらす悲劇を防ぐための、ぎりぎりの選択肢として示したのである。「形式」や「型」、あるいは先の引用に見える「知性」は、その感覚を培うために、あるいは情念の本流からそれを守るために、なくてはならない道具であった。それを通してこそ、たがいの間にある違いを認めながら、「対等なつきあい」を続けてゆく態度が、可能になる。 (p210)

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