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 W. シャブウォフスキ 『踊る熊たちーー冷戦後の体制転換にもがく人々』 (芝田文乃訳/白水社、2021年)


 前半。
 
 ブルガリアで以前から存在していた「踊る熊」。熊を調教して手なずけ、芸をさせて小銭を稼ぐ。

 そんな伝統的な「踊る熊」が動物愛護の観点から禁止される。

 代々受け継がれてきた熊使いの人たちの不満。家族同然の熊を取り上げられること、そして、苦しくなる生活への怒り。

 他方、熊を自然に返すべく訓練をする動物愛護団体の苦悩。家族同然の熊をいかにして引き取るか。自由を急に与えられた熊をいかにして自然界で生きていけるように訓練するか。熊たちは、むしろ、熊使いに飼いならされていたときの行動をしようとさえする。


 そんな、熊使いと動物愛護団体のそれぞれの人間模様がとてもリアリティをもって描かれていて、どんどん読み進んでしまう。

 ここにはあらゆる普遍的な問題が含まれているように感じる。

 人間対動物(どっちを優先すべきか?)、野生対飼育(どっちが動物には良いのか?)、理想(倫理)対現実(生活)、そして、自由対管理(自由は意外と辛いのではないか?)。



 後半。

 そんな「自由の受容」をめぐって同種の問題が冷戦後に民主化した国々で起こっている。

 キューバ、ポーランド、ウクライナ、コソボ、ギリシャなど自由を与えられた国で起こっている現実の一側面を、庶民の声を通して伝える。

 後半部は、政治的背景の説明が少なく、少々わかりにくさがある。また、庶民の声を通して伝えるため、その意見や境遇がどれほどの普遍性を有しているのかがわからない。

 そんなわけで、前半の「踊る熊たち」の話ほどは構図が見えてこず、切れ味が劣るように感じた。



 とはいえ、調教されていた熊に自由を与えることと、非民主的な国に自由を与えることに、同種の問題を見出し、それを一冊にまとめる構想はおもしろい。


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 田中拓道 『リベラルとは何か』 (中公新書、2020年)

 
 日本ではいつの間にか否定的な意味を込めて使われるようになった「リベラル」だが、当然、それまでは学術的な用語として、一つの立派な立場を表すもとして用いられていた。

 本書はリベラルが誕生した17世紀から、紆余曲折を経て現代にいたる歴史を思想史的に追っている。

 王や国家の介入を排すべきだとする古典的自由主義。アダム・スミスの「神の見えざる手」はその考えを象徴的に表している。そして、それが国家による社会保障を求める考えへと変容していく。そうして社会権や福祉国家が誕生した。

 1970年代に先進国で一定の経済成長を成し遂げたからか、文化的なリベラルが盛り上がりを見せる。多様な価値観の肯定を求めて、あらゆる分野で社会運動が盛り上がった。反核、環境、女性解放などだ。

 ここまででもリベラルという言葉の多義性が垣間見える。どこをとって語るかで議論は全く違ったものになる。

 そんな危ういリベラルに関して、著者はさらに議論を進める。

 すなわち、排外主義ポピュリズムが台頭するメカニズムに関する研究、そういう情勢の中でのリベラルの取りうる針路といったものまで論じている。もちろん、これは仮説や一つの見識にすぎないが、現代におけるリベラルを考える一つの視角を与えてくれる。


 レッテルを貼られてしまったリベラルが今後の日本でも生き残れるか、それともここで消滅してしまうかは、新たな道をリベラル派が提示できるか否かにかかっているだろう。イギリス労働党が「第三の道」を提示(採用)して生き延びたようなことが日本で起こるのだろうか。

 荒れ地であれば可能性は開かれていると思うのだが。


 山本昭宏 『戦後民主主義』 (中公新書、2021年)

 
 時代によってその意味が変遷している「戦後民主主義」。この言葉を軸に、戦後から現代までの政治の動き・社会の状況と、それに対する論壇の言説・文化界(映画、小説、歌など)の反応を追っている。

 政治の流れがメインに書かれるのではなく、あくまでメインは論壇の言説や文化界の反応。したがって、取り上げられている人物は、黒澤明、南原繁、筑紫哲也、吉野源三郎、阿久悠、丸山眞男、清水幾太郎、松下圭一、吉本隆明、大江健三郎、高坂正尭、庄司薫、高畠通敏、久米宏、西尾幹二、山田洋次、大塚英志など。名前を見るだけでワクワクする面々。

 この中には、正直、名前は聞いたことあるけれどその主張やその主張の文脈を知らない人もいる。そういう人がどういう文脈でどういう主張をしたのかが歴史の中に位置づけられていて、とても勉強になる。

 筆者は1984年生まれであるため、戦後の言説の多くは実体験として知っているわけではない。しかし、だからこそ、どちらかのイデオロギーに与することもなく、一歩下がった冷静な視点で書くことができている。

 また、戦後から冷戦終結くらいまでの描写は当時の対立の熱さを伝えてくれるものも多く、読み物としてもおもしろい。

 翻って、現在の言論界の対立は左右どちらにしても一方的にがなり立てているだけでのように思える。そして、ほとんどの国民はその極端な主張から一歩引いて見ているといった様相を呈している。

 これが平和の証なのか崩壊への序章なのか、果たしてどちらなのだろうか。


 竹中治堅 『コロナ危機の政治』 (中公新書、2020年)

 
 新型コロナウイルス感染者が中国で見つかった2019年末から、菅内閣が誕生した2020年9月までの新型コロナウイルスをめぐる日本政府、地方自治体の対応を、主に新聞報道や政府発表など客観的な資料をもとに丹念にたどった本。

 新型コロナをめぐっては実にいろいろなことがあったため、記憶がすり替えられたり、忘れ去られたりしていることも多いと思われる。それを修正したり、確認したりするのに役立つ。

 政治学者である筆者が導き出した結論は、①新型コロナをめぐっては、制度的に地方自治体の権限が強く、首相の権限は限定的だった、②新型コロナの対応では、保健所や検査体制や医療体制などキャパシティの限界が政策決定に大きな制限を課していた、という2点。

 どちらも目新しさはない。

 個人的には、安全重視で慎重な安倍首相と経済活動重視の菅官房長官の対照的な考えがおもしろかった。もしこのことがもっと世間に知れわたっていたら、国民は菅氏を支持しなかっただろう。そして、菅内閣の誕生もなかったかもしれない。

 また、医療業界・医療体制ばかりを考え、国民の健康は二の次にしている(ように見える)厚生労働省の対応は相変わらずだなという趣深さがあった。



 正直、本としては、物語性があるわけでもなく淡泊な記述が続くため、おもしろみはあまりない。

 とはいえ、この早い時期に政府の対応の詳細をまとめた本が登場したことの意義は、後々気づかれていくのではないかと思う。特に分析対象が短いからこそ、その分、分析が細かくなり、より正確な把握を可能としてくれる。

 国の一大事にどのように政治が行われたのかは歴史的に重要なことだ。東日本大震災のときは民主党政権だったこともあり、いまだに政府の対応に関して様々な言説が飛び交い、もはや何が事実だったのか誰もわからない状況になってしまっている。

 そういうことにならないために有意義な本。

 黒木登志夫 『新型コロナの科学』 (中公新書、2020年)

 
 新型コロナウイルスが広がり始めて一年近くが経つ頃に書かれた本。

 執筆時点での(英文のものも当然含めた)科学的研究の知見を踏まえて書かれている。まさにタイトル通り。

 内容も、パンデミックの歴史、ウイルスとは何か、新型コロナウイルスについての初歩的な知識(感染ルート、症状、発症者と無症状者の違い、アジアと欧米の比較、集団免疫、再生産数など)、ワクチン、日本政府の対応、外国政府の対応と、網羅的。

 したがって、いろいろな情報が飛び交い、なおかつ、蔓延当初の不正確な情報も混ざる新型コロナについての基本的な知識が得られる。

 「基本的な知識」とはいっても、日々のマスコミによる報道では得られない知識も多く、とても有益。新型コロナについて語るなら、これくらいは知っておかないと恥ずかしい思いをすることになりそう。



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