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Stephen Van Evera. Guide to Methods for Students of Political Science. Cornell University Press, 1997.
ちょっと前に、政治学者による微妙な本にいくつか当たり、政治学の方法論に興味を持った。そんなわけで、安くて薄いこの本を読んでみる。
この本では、経済学などでお馴染みの計量と数理は扱わず、社会科学の方法論として外延に当たると思われる事例分析に焦点を絞っている。
そして、方法・手続きさえ守られれば、事例分析も科学的な方法論として欠かすことのできない存在だという立場を採っている。
その上で、事例分析のやり方、注意点を説明している。
読んでみて、やっぱり政治学にも方法論に関するルールがあることを確認した。
ところで、この本を読んでいて、新聞などがよく書く事例入りの記事・特集の問題点について得心した。(※全ての問題点に当てはまるものではない)
もちろん、新聞などが研究とは違うということは認識している。
けれど、読み手にとって、両者が共に事実認識の問題であるという点では同じであって、学問的な事例分析のルールを知っておくことは、新聞が取り上げる事例を理解・吸収する際に注意すべきことを知るのに役立ちそうである。
それで、両者の違い。
要は、その取り上げている事例をどういう風に位置付けるかの方法の違いである。
学問では、事例は、理論的な思考によって導き出される予測・仮説の中に位置付けられる。
対して新聞などでは、事例は、書き手のイメージによる勝手な想像の中に位置付けられる。
学問的な事例分析の例として分かりやすいのは経済学の研究である。
例えば、規制緩和による市場メカニズムの導入によってサービスや料金が向上するという(例の曲線とか、インセンティブという観点からの)理論的な予測から、アメリカの航空業界における規制緩和の(予測どおり成功した)事例が説明される。(伊藤隆敏の研究)
一方、新聞などが(非学問的に)事例を扱う典型的な例としては「トンデモ」系の話が最適だ。
まず、記者の頭の中に、「テレビゲームをやると現実世界に適応できなくなる」という「理論」がある。その上で、テレビゲーム好きな若者が事件を起こしたと聞くと、「理論」を証明する事例だと考えて記事を書くのである。
しかし、もちろん、「テレビゲームをやると現実世界に適応できなくなる」といういかにも短絡的な「理論」は、証明されていないどころか科学的にも否定されている代物である。
もちろん、理論などなくても個別の事例の原因を虚心坦懐に探っていくのなら、それは有意義な記事になる。
だけど、そんな学問的な記事を記者に書けるとも思えないし、実際に書いているのもほとんど見かけない。そもそも、マスコミの人間は、そういう「細かい話」は学者の仕事であって自分たちのすることではないと自任している。(※虚心坦懐に事実を探っている数少ない例外として、思想に関係なく評価されている読売新聞の「検証・戦争責任」がある。ただ、これが、マスコミらしくない学問的な実践であるというのはマスコミにとっては皮肉である。)
そんなわけで、得てして新聞などで取り上げられている事例というのは、感情に訴えて自分たちの主張に共感させようという扇情的で危険な目くらましに過ぎない、と思うのだ。